「自責」って意味を勘違いしてました

今日は、自分のコーチとのコーチングでした。その中で、ガツンと来たことがありました。それは、「自責」を勘違いしていた事に気づいたのです。

今日は、自分が上手く行ってないなと思うことの話をしていました。けれど、話していながら、なんだかグルグルしているだけで、自分が何を言いたいのか、どうしたいのか、判らなくなっていました。
けれども、自分が変わらなければという思いばかりが積もっていました。そこから脱したい。

焦り?不安?恐れ?

なんだろうと思うけれど、とにかく話を続けました。それでも、見えないのです。辛くなっちゃいました。
「自分って、駄目だなあ」「私って、なんでこうなんだろう?」
そんな事ばかりが頭に浮かんできました。

すると、コーチが「里江ちゃんが、周りの人のために何かしたいのは凄く解る。脱したいって気持ちも解る。でも、どうやって抜け出すのかが具体的じゃないよね。今まで材料いっぱい話して出したから、その中に答えってないのかなあ。」と。

自分の中で、言ってはみるけれど、しっくり来ない気がしました。自分に駄目だしをしたまま何かを行動しようとしているから、すごく重い気がしました。

すると今度は、コーチが先週受けたトレーニングでの話をしてくださいました。
「アカウンタブルの反対は、ヴィクティムだけど、一般的にヴィクティムは周りや環境のせいにしてしまうことだと認識していたんだけど、そのセミナーで、もう一つのヴィクティムを教えてもらったの。それは、自分のせいだと自分のせいにするけれど自分をせめるだけせめて、それで満足してしまうこともヴィクティムなんだって。これは大きな学びだったよ。里江ちゃんのって、まさにこれじゃないかなあ。」

ドキッとしました。
すごく見に覚えがあるからです。「私のせいだよね」と言う割には、その後何も変えようとしてなかったこと・・・。

仕事の場面では、「だったらどうする?」と常に考えてきたつもりだけれど、研修講師としての自分は、自分が商品だから、私が良くなかったのねと落ち込んで終わりになっていたのかもしれません。順調な時の一つなら、改善しようと思えるけれど、何となく「このままでいいのかなあ?」と自分で悩んでいる私は、「やっぱり私が良くないんだあ」と落ち込んで終わりにしていたのかもしれません。

ガツンと頭を打たれた気分でした。
けれども、冷静に自分の嵌っていた自分の罠に気づけた事で、抜け出すきっかけを見つけられました。次にどうしたら良いかも考える事ができました。これが、本当の「自責」なんですよね。

「自責」は、自分の責任にする事ではなく、自分の責任で、最後までやり切ることなんだろうなと改めて学び直した気分でした。

頭では解っていて、当たり前の事だと思っていたのですが、知らないうちに自分がヴィクティム状態に陥っていて、「自責」の意味を取り違えていたとは・・・。

あなたにも経験ありませんか。
きっと、解っているつもりでも、今が正しいとか、今が精一杯とかちょっとでも思っちゃうと、主体性を発揮しているつもりで、止まっていることってあるのかなと私は思います。
動くのが心地よい、変化が楽しいと思っていても、どこかで休憩をしているのかも。
休憩が悪いわけじゃないから、それに気づいたら動けばいい。ただ、無意識に休憩しちゃうと、休憩している事に気づかずに立ち止まってしまうのかもしれません。

私も気づかずに休んでました。またこれから進んでみようと思います。
周りの人達の笑顔のために・・・・。

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