同じ人間なのに時と場合によるんだなあ

昨夜は確認できませんでしたが、健康診断の結果が郵送されてきていました。今朝、見ながらふと感じた事です。

健康診断の結果が届きました。毎年定期的に受診しているので、直近の結果も載っています。
今年は、貧血以外は全て健康体という数値結果となりました。が、昨年、一昨年と比べると数値が良くなっている所と、徐々に上昇して欲しくない数値が上がってきている部分とがありました。

こうして見ている時に、ふとこういう時は、冷静に自分を見られるし、他人と比較することは一切なく、過去の自分とだけ比較できるのに、仕事となると、解釈ばかりになってしまったり、周りの人の反応をやたらと気にしてしまう事があるなと感じました。

確かに時と場合によるとは言え、数字って解釈が入らないだけに事実だけが見えるから判断が入らないのかなあなどと思う事もありました。元々、事務員をしている頃から数字って面白いと思って、データをまとめたり、作ったり、扱う数値を変えて、視点を変えてみたりという事が多々ありました。

今回の健康診断の場合は、健康かどうかの確認という意図があり、事務として数字が楽しくなってからは、「効率化」と「現状確認」をするための意図があり、それぞれの意図を基に数字が並べられています。
この意図があるという事も同じ。

何が違うって意図もある、数字も見える、そんなに違わないのに、すごく客観的に、しかも興味を持ってみる事ができて、解釈をそれほど加えずに済むのは何故なんだろう?
人と比べないのは何故なんだろう?

そう思ってもう一度、その検診報告をみてみると、「基準値」というものが明確に記載されているのですよね。
他の人が気になる時や、思わず比べてしまう時って、自分の中にこの基準だったり、目標だったりという目安となるもの自体が不明瞭な事が多い事に気づきました。

会社で出していた数字も、私が勝手に面白いと出した数値は、重ねていくとそれが基準を生み、報告をすることで目標も生まれていたから、こうした場面では客観的に、そして他と比較するのではなく、せいぜい過去と比較をしていたと思うのですが、「明るく」とか「伝わったか」など、基準自体が測りづらいものに関しては、「これで良いのだろうか」「達成したのだろうか」と不安になって、他に目を向けてしまっていたのだろうなと考えさせられました。

同じ私という人間であっても、周りの人ばかり気にしてしまう時は、こういう事だったのかあ。

けれども、それが決して数字や基準が見えづらいものでしかない時にはどうしよう?
きっとこれが明確にできれば、健康診断の結果を見た私と同じような反応ができるようになるのだろうなあ。どっちが良い悪いでもないとしても、自分を冷静に観察できるようになったら何か違う気がしたので、この点を気にしてみようかなと、朝ふと思いました。

同じ人間だけど、いろんな場面で色んな私が見えます。
それが、楽しくもあり、どちらかの自分になりたいって思うこともあります。今は、ちょっと自分の中で、動じない自分というものを作ってみたい時期なんだろうなあ。そんな事を健康診断結果を見ながら感じました。

自分の変化や、自分の中の自分に、ちょっと目を向けてみようかな。
あなたはどうですか。

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