とある研修に参加した時、ずっと寡黙に講師の様子を伺っていた、講師の上司A氏がボソッとつぶやいているのが聞こえてきました。
「『したい』じゃないんだなあ。」
気になって、メモの片隅にこの言葉をメモして、後から聴くことにしました。
研修に集中していたので、忘れていたのですが、その時にふと書いたメモが片付ける時に目に止まりました。思わず、確認をしたのです。
私「さっき、小声で仰っていた、この言葉の意味は何なのでしょうか」
A「聞いてたんだ。あなたは研修に集中できていたのかい?」
私「そう言われると自信がなくなりますが、集中していました。
でも、声のトーンが違うので、つい耳に入って来ました。」
A「そう。あなたは何だと思う?」
私「わかりません。」
A「簡単に解らないと言うものじゃないよ。考えてみて。」
私「先生が、何かをしたいと仰ったんですよね。」
A「うん。良く聴いているね。だから、したいじゃないと言ったんだ。」
私「仰っている意味が解りません。どういう事ですか。」
A「考えてみるといいよ。答えは自分で見つけるものだよ。」
そう言って、答えはくださらなかったのです。
けれども、あれから何年経ったのでしょうか。ふとそのメモがでてきて、解ったのです。
「したい」は願望。「する」と言い切りなさいという事だったのかなと・・・。
確認をする機会はないけれど、自分が台本を書いている時に「したい」と書いてみて、「違うな、する、じゃないと」と書きなおした事を思い出したのです。
「思いだけでなく、形にするよという事を、講師ならみんなの前でちゃんと言える位の存在になりなさい。」と言うことが言いたかったのではないかと思います。
メモが出てきて、また気になっています。
あなたなら、どう言う意味があると考えますか?
コメント
「したい」って願望であり仮に行動につながらなくても
罪悪感を感じません。
「する」だと宣言になるのでもし行動できなかったときに
自分に罪悪感を感じます。
自分自身考えてみると自分のコーチとの会話では
「する」と宣言することが増えた気がします。
行動できるようになった要因の一つかもしれないなぁと
記事を見て感じました。
山本さん、
そっかあ。罪悪感に感じちゃう事自体何かあるんだろうね。
ありがとう。