休養を取ることと何も感じない事とは違う

ここ2日間、ブログを更新することもなく、メールを開くこともなく、でもひたすらこれからについて考えたり、違う事に目を向けていた気がします。
家族との時間、そして積読になっていた本達を読む時間。そして、これからを軌道修正する時間。敢えてじっくり向き合う事で見えてきたこともありました。

4日は、家族と、家族の友達家族とのBBQをして、それぞれの家族を感じながら、炭と向き合いながら、何だかゆったりとした時間を日中に過ごしました。山道を歩くと、藤が咲いていたり、タンポポ、オオバコ、小さい頃に笛を作って遊んだ草(名前は知らない)がいっぱいあったり、童心に還った気分でした。そして、今、私が多くのものを勝手に抱えたと思い込んで、やれなくなっていることもあるんだなあと、小さい頃にやりたかったことを思い出したりできました。

赤く染まった炭を見つめながら、炭ってこんなに離れていても温かく感じさせてくれるんだなあと、五感で感じるひとつひとつの事を味わうこともできました。
私の空いている日を狙って、無理矢理押し込められた気分がした予定だったけれど、ムダな時間というものはないし、感覚を研ぎ澄ます事が出来て、すごく貴重な時間になりました。家族には感謝です。

そして、自分の仲良しの人達は遠くに居ることが多くなかなか会えないのですが、どこかで仕方ないと思っていたのですが、こうして「集まろう」と声をかけたら集まれる機会は作れるんだよなと、人との繋がりについても考えさせられました。

その日から昨日一日は娘の友達が泊まっていたので、ママ業に専念。けれども、子供たちを見ていると、個性というものを見せてもらえてすごく面白かったです。
空いた時間には本を読み、ゲームを一緒にし、ちょっと思考を巡らせ、他と比べることから断絶した生活をしてみた気分でした。その中で、私が小さい頃からやりたかったこと、勝手に諦めてきたこと、思ってもない事にエネルギーを注いでしまっていることなど、本当に多くの事を感じ、考えることができました。

あらためてこの「休養」というものがくれたプレゼントは「感じる時間」と「考える時間」だったんだなと感じさせてもらいました。

読んだ本の中に「感じる事」と「考える事」を分けてみるというのがありました。
ついつい仕事の中では、感じる事は後回しにされ、「これからどうするのか」「この問題をどう解決するのか」という思考ばかりが優先されるけれど、その時に「どう感じているのか」「今、何を感じているのか」に注意を向けるだけで、実はその感情も抑えるではなく、受け取る事ができると言うような事が書いてありました。

感じる事に目を向けてみると、私という人がちょっぴり客観的に見えてくる感じがします。すごく落ち着ける感覚がありました。
草や花、火などをすごいなあと感じているだけで、私も存在するだけでも、何かをできているんだろうなあ。だったらしたいことをしたら、もっといろんなことができるのかもなあと自分の中に力が湧いてくる感覚も味わう事ができました。

休養って、時に身体の不調を感じ、身体を休ませようと考えることもあるけれど、それも踏まえて、「感じること」とは深く付き合っているんだなと思いました。
そんな時間を過ごすことで、エネルギーを満たせるのであれば、考えるばかりでなく、感じる時間を一日のうち、ほんの一瞬でももっていけたら、日々エネルギーチャージしていけるのかもしれないですよね。それが、本当の休養なのかもなと私は思います。

コーチングの時間もこの感覚を大切にするから、きっと気づきが生まれやすく、またエネルギーが満ちるきがするのかな?なんて少し自分の仕事にも誇りを持てた数日でした。

あなたは、この数日、或いは今、何を感じていますか。

コメント

タイトルとURLをコピーしました