十割打者は居ない

先日、リーダーシップ研修をした時のリーダー達との確認の言葉「十割打者は居ない」。なのに、どうしても仕事って10割打者を求めてしまうんですよね。

分かっていても、学校教育で染み付いたであろう「物事には正しいことがある」という前提。それが社会に出ると「間違いは許されない」という事になってしまっています。お客様に対する究極のホスピタリティなのかもしれません。しかし、10割打者は居ないんですよね。

私が勤めていた会社の上司の「まあ、人がやっていることだからね。」という口癖がありました。つまり、100%完璧に毎回できることを望んでも、ミスは起こる可能性はあるだろうし、何より相手がその100%が当たり前になったら、それだけは満足しなくなるから、結局100%ではなくなるという事だと私は解釈をしました。

リーダーシップ研修の際のリーダーも「正しい答えを出さなければ」と思うと、言葉も行動も止まります。けれども「十割打者は居ないでしょ。イチロー選手でも5割って言ったらすごいことなんですし。間違っていたら、出来る限り早く気づいて、早く治していけばいいんだから、間違ってもいいから、やってみましょうよ、言ってみましょう」というと、結構、話も行動もやってみてくださいました。どんな事がどんな風に響いていくのか分かりません。
けれども、間違うことがいけないとなったら、前に進むのさえ怖くなるし、新しいことなんてなかなか出来なくなってしまいます。
だったら、進んで、違うと思ったら早く改善すれば、それが一番なんじゃないかと私は考えています。

つまり、間違えること以上に、正しいことを決めたんだからと放ったらかしにする事の方が危険ではないでしょうか。改善ってこうした一歩進んだあとのケアやフォローから成り立っているものなのですものね。

そうなると、リーダーは前へ前へと考えていくとしても、正しいことばかりじゃないかもしれません。時に今がどんな状態なのかを見極めていくことも忘れて欲しくないと思います。
最初の一歩は大変だけれど、そこで十割打者を狙っていきたいところではあっても強要するものではない。十割打者は居ないのだから、だったらその後のフォローにも目を向けていくことを大切にして、常に今と先を見ていきたいものだと私は思います。一人で無理なら、その事が得意な人をブレーンに置いたらいい。それが私の上司から学んだことでした。

もっと言えば、私はそもそも「間違い」なんてないと思っています。それぞれ多種多様な考え方や動きがあるから、一つの組織やチームとしての相乗効果も生まれやすくなるわけですから。とは言ってもバラバラであってはいけないのがチームですから、目的は共有し、目標はお互いに納得して進みたいものですよね。
戦術に関しての意見の相違は、それだけ選択肢があるということだもの、今はこの選択肢に決めた!という事が行われているわけで、正しいことを決めているわけではないのではないかと私は考えています。

そうは言ってもねっていう場面は結構ありますが、「十割打者は居ない」という思いがあると、受け留め方や対応もかなり変化したという自分の経験もあります。心にゆとりを持てるせいか、結果的に最善の策を選べる思考の幅が持てる気がします。
何か参考になればと思い、真面目な話しを・・・。

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