悩みがあるなら悩んでみよう。但し・・・

悩んでいる時間がもったいない。そう思って常に動いてきたけれど、ふと悩んでみることがある。というよりも考えてみることがあると言う違い。


悩むというと、「りっしんべん」が象徴するように、心に入り込む感じがあります。自分の心と向き合う時間も大切なんだと思います。けれども、そればかりでは、変化は現れないことが多々あるんですよね。すると、動いてみることも大切だと気付きます。

脳ってそれだけでは動かすことができないけれど、他からの刺激を与えようとすると身体を動かすしかないそうです。書き出してみるという事や、話すという効果もその辺りからくるのかもしれませんね。
悩んで苦しくなるよりも、そこに行動をプラスしませんか。

それが、私の思う「但し・・・」です。

書き出すでも良いなと思います。
私は中学生の頃から日記を書いていました。それは自分が思ったことを感じたことを書くためでもありましたが、なんだか書いているうちに自分の感情がノートに出てきて、そのノートの中の私に「でもさ、こう考えたらいいんじゃない?」と思うもう一人の自分が居るような気分にもなりました。
もう一人の私と一緒に考えていく感じ。しかも悩んで前に進めないノートの中の私をサポートしようとしている私が居たのです。
これはあなただけでしょ?と思うかもしれませんが、前向きな事も書くことで何か考えが湧いてくる人もいらっしゃれば、話すことで口を使い、耳を使い、気付く人も居るのですから、似たようなものではないかと私は感じています。

中学の頃、悩んでも「人前で弱みを見せるな!」と父に叩き込まれていた私は、日記があるおかげで次の日には前向きになって、元気に何もなかったように登校できたのかもしれません。
文でなくても、その思いが絵で表現できる子も最近会いました。これもまた自分が抜け出した時の世界を創造できていて、あとはそれに対し、一歩を踏み出すだけなんです。

確かに悩む時、変化を恐れてしまいます。
けれども、まずは全く関係ないと思っても、運動するとか、書いて見るとか、話してみるとか、別のことで構わないから動いてみませんか。

自転車ののり始めとかと同じで、こぎ始めは大変だけれど、漕ぎ出せば楽にできることもあるんじゃないでしょうか。その事の動きだけに集中して自分を責める必要なんてないと思います。今のままのあなたでも充分素晴らしいんじゃないでしょうか。
その上で、もっとこうしたいのに、できないってその一点だけで悩んで落ち込むこともあるけれど、ちょっと違う動きで、脳に刺激を送ってみませんか。
それも苦しかったら、休んでもいいんじゃないかな。私はそう思います。

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