あなたはあなたを好きですか

良く「相手は自分の鏡」という言葉を聴く事ありませんか。私は、育ってくる環境で100点と1位以外は父に叱られるという中で育ってきて、高校に入った時にそれが違うと知りました。けれども、「自分は駄目な人なんだ」という事をずっと思っていました。そんな私が、今では自分を好きなんですよね。不思議なんですが、そうなると周りに居る人達の反応さえ変わってくるんです。

100点を取らないと、「なんでこんなことも分からんのだ!」と怒り狂う父に育てられた私は、父が怖くて怖くて、父に怒られないために勉強も頑張っていたような気がします。そして運動までも1位じゃないと怒られる。そんなパーフェクトな人間なんて居ないのに・・・。そう思って居ましたが、今になって思えば、父も小さい頃から優秀な姉や兄と比べられ、「出来損ない」と言われ続けたわけですから、私にかけた期待が大きかっただけなんだと思います。

そんな中で育っても、母は「あの子はすごいね」「あの子は優しいね」など、周りの子を本当に褒めていました。だから私はいつも「●●ちゃんは、すごい。それに比べて私はなってない」といつも自分を責めていました。まだ足りない、まだまだだと、自分を卑下し続けました。それでも、みんなに「すごいね」と言われるたびに「嫌味だなあ」と思うこともあり、本当に淋しい子だったのかもしれません。

いろんな経験を経て、徐々に変わっていたとは思うのですが、大きく変わったのは高校の時です。進学校だから上の人しか居ない状態。あれ?必死に勉強し、上位に行っても、到底1番になんて程遠い。「ああ、私の求めるものはここじゃないはず」
そう思って、やっと自分との会話が始まった気がします。それからずっと模索していても、自己卑下だけは止まることはなかったのです。

本当の意味で自己卑下が止まったのは、結婚して10年目のことでした。
結婚さえ認めてなかった父が、家族揃って、栃木の自宅に遊びに来ました。その時に父が小さな声で言ってくれたんです。
「悪かったなあ。お前は良くやっとる。一人では出来んことだ。遅くなったけど、おめでとう。」
今でも思い出すと涙が出ます。やっと父に認めてもらえた気がしました。
私はこのためにずっと今まで自己卑下してきたんじゃないかと思えるほど、その時すっと心が軽くなる気持ちでした。
ちょうどその頃にコーチと出会い、自分の自己卑下から解放されたように、前に前に進めるようになりました。小学生中学年位までの、何でも楽しめる私に戻って居ました。

そんな私は自分のことを許せていたのです。好きというより、許すという感覚でした。そして、何かステップを乗り越えるたびに、自分を好きになれることが嬉しかったのです。

そしてそんな時に、「あなたのファン1号です」という方からメールをいただきました。なんだか嬉しくて嬉しくて、こんな自分でいいんだあって、すぐに自己卑下に戻ろうとする私の思考の癖をストップさせてくださいました。
そんな時、その頃のコーチが仰ってくれました。
「小林さんは、自分を認めたときから、きっと人を本気で認められるようになったんですね。
 相手を信じられる人というのは、自分も信じてあげられる人なんですよ。
 そして、自分を好きになれる人が、人から好きになってもらえる人なんですよ。
 良かったですね。これからもっともっと磨かれていくのでしょうね。」
人前で泣くのは恥ずかしいことだと思っていた私は、電話を切ってから大泣きしました。

それは、嬉しかったのではないんです。悲しかったんです。自分を認められなかったことで、それまで出会った人達を私は本気で見てなかったのかもしれない。申し訳ないことをしてしまったと。
でも、その後は喜びの涙になっていました。それでも、今私はこうして父やファン1号さんのおかげで、こうして自分を許すことも、好きになることも出来た。こんな私でも・・・。ありのままの私を受け容れることがこんなに大切だなんて、今まで知らなかったなんて、もったいなかったなと。

人は根本は変わらないと言いますが、根本ってどれが根本なんでしょうね。
私の根本は父の教えで作られた私なのか、父の教えが機能してない小学生の頃だったのか。正直、そんなの分からない。というか全部が私。でも、私は私なんですよね。今から変えたいと思えばそれもまた私だし。

古い日記を見て、ふと父の言葉を思い出し、あれから自分を許せたんだなあと振り返っていました。いつからでも変われるんですよね。
今、自分を好きになれて、周囲の人を好きで居られる自分がまた好きです。

あなたは自分を好きですか。

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