答えは一つじゃない

ついつい正解を求める教育の恩恵を受けてしまうのか、正解は一つと思ってしまったり、正しい答えを言いたいために、「分からない」といってしまう人がいます。けれど、その事が新しい発想を妨げてしまう場合もあるのではないかと私は思います。

研修をしていて、「分かりません」「難しいです」という発言が出ていることがあります。けれども、そういった瞬間に「考えることを止める」という場合が多々あります。けれど、あきらめずに考えてみて欲しいとお願いをすると、ほとんどの人達が自分で答えを導く事ができます。
その答えは「なるほど!」と私が感動させられるものも少なくありません。
つまり、言っている私自身がそれほどの拘りを持ってなかったりするから、すんなり受け入れられるということもあるのかもしれません。

伝える側の「とにかく考えて口にしてみる」ことの影響力と、受け取る側の何でも言わせて上げられる環境作りが出来て、初めて「一つじゃない答え」が言えるのかもしれません。

今の若い人達は・・・という事を仰る人も居ますが、いつでも答えは一つと決め付けてしまう受け手側の思いも、自由な発想を妨げているのではないかと、最近よく思います。

自分が組織のリーダーだったころに、もっとこの事を理解していれば、もっといろんな発想を聴くことができたのではないか。そう思うと、またあの組織に戻って試してみたい気分になります。
しかし、今は外部からの関わりしかできないので、他の組織で企業コーチをさせていただける場面でも試してみています。

すると、最近定着もしてきて、自由な発想で会社に新たなアイデアを試していく風土に変化してきました。上司も答えを一つに絞らず、やってみたらいいじゃんという発想に変化してきたのです。

どちらが先かは分かりません。けれども、答えは一つじゃないよね、という発想が上司側でいえるようになった時、部下も言いやすくなっている気がします。
どちらも、これからの時代特に、一歩をどちらからというのではなく、踏み出してみてもらいたいなとつくづく感じてしまいました。

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