何かを忘れてみる

GWはやりたいことが沢山あったのですが、結局やれず終いでした。とは言え、大切に出来た時間もあって、今朝起きてみれば、それでよかったんだなと思えています。何となく穏やかに感じた今朝、こうした受け止め方ができるようになったのも、「あるがまま」を受け容れられるようになったためかなと思いました。

今朝は、いつものように内省の時間と、瞑想の時間があったのですが、瞑想できるまでの時間がかなり短かったのです。疲れも何もなくなっているからかなと思っていましたが、疲れが溜まるようなハードさもなかったので、これも違うのかもしれません。けれども、自分の思考に頼るよりも、体の声を優先させるつもりで過ごせた時間があったために、体がリラックスできたのだなという気がしました。

どうしても「あれしなくちゃ」「この機会に●●しておこう」とか、いつも欲張ってしまって、それができない事にショックを受けたりしていた私が居たのですが、この休みはちょっと「あれしなくちゃ」とか「しておかなければ」という思考を忘れてみようと思いました。
体のだるさがあれば休む。あそびたければあそぶ。外に出たければ出る。家族と話したいときにはいっぱい話す。

自由が許される日って考えてみるとそう多いわけじゃないと思っていたので、このGWはやってみようと思いました。本当にこれでいいのだろうかと思えてくる事さえありました。
でも、おかげで見えてくるものもあります。
人と話すと自然に笑えてくること。楽しいことでも、体は疲れることもあり、体力が落ちてきていたのだと気付けたこと。毎日話したい人が居るということ。ついつい仕事がしたくなる自分がいるということ。ブログも休んでいると一日の締まりがない気になるということ。

自分の中で癖になっているだけでなく、それによって伴なう感情にもじっくり向き合うことができました。

この経験を今日からに生かしていけたらと思いました。が、考えてみたら、GWだけにできることでもなく、そうした時間をとれるようにすればいいだけのことなんですよね。毎日の中に必要だと思う時間をとればいいだけのことなんですよね。

私にとって、日々の拘束された気分から、一旦解放されたことで、拘束などされてなかったことも、これからも自由だということも、当然のことのはずなのに、改めて感じる事のできた日々でした。
だからこそ、今朝は何も考えない時間が深く感じられたのかもしれません。

何かを忘れてみる。そんな時間も時には自分との対話のためにも必要なのかなと思いました。
あなたは、自分との対話をどのようにしていますか。

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