組織マネジメントの誤解?

企業様と関わっていて、たまに誤解されているんじゃないかと思う事があります。
それは、「組織を動かしているのは人だけれど、組織自体が人ではない」という事です。表面的にそう見えることもあります。一致団結することでそうみえることもあるけれど・・・。その誤解により起こっている弊害を痛感します。

それは、「私達」という主語の使い方です。
つまり構成員が集まって組織を作るから、個の集まりである「私達」という発想は普通だし、自分自身もよく使います。けれども、構成員がその事によって「私」が何をするのか、「私」という存在は代替のきく人でしかなくなってしまい、結果としてモチベーションも上がらないし、成果も発揮し辛くなってしまいます。

確かにマネジメント側の責任にする方も多いけれど、をんな事していたら、結局その人はマネジメントがされない限り動かないつもりなのでしょうか。静かに辞めていくのでしょうか。

マネジメント側から見ても同じです。あの構成員が悪いとか良いとか判断することがマネジメントだと思っていると、人の判断はするけれど、そのマネジャーはいったいその人達を育てるために何をするのだろう。或いはその人の良さを本当に知っているのだろうか。

私は中学1年生のときに初めてお小遣いらしいお小遣いをもらったときに、哲学や思想などのいいところどりをしたような小さな本を見つけて1ヶ月のお小遣いを全て使ってその本を買いました。
その中の二つの言葉が忘れられません。
一つは「完璧なものなどこの世に存在しない。人も同じで短所ばかりの人間も調書ばかりの人間も存在しない」
2つ目は「人の短所も角度によっては長所になる。ようはどうその特徴をどう活かすかだけである」

この二つの言葉のおかげで完璧を親に求められ、自分を責め続けた日々から抜け出せました。逆にどう生かすかを人にしても、自分にしても考えるようになりました。

中学当時バレーボール部だったのですが、年功序列だった部で一つ下のアタックにパワーのある子が12名に選ばれました。他のメンバーは気に入らなくて急に部活動に出なくなった子も居ました。
けれども、まずはその子のよさがあるんだからと受け入れようと、みんなに話をしました。その上で休みがちだった子達にも、チャンスがあるとしたら、自分の優れた部分を磨かないとずっと選んでもらえないよと話しをして、練習を一緒にやろうと毎回声をかけていきました。私はキャプテンをしていたので、みんなをまとめていくのも役割です。だから、当時私ができる事を精一杯しました。下の子達も12名に選出された子に続けと頑張りましたし、私達の学年もお互いが伸びあえるように、毎週ミーティングをしてお互いの伸ばすところについて話す時間も部活動終了後に持ちました。

一人一人が部の構成員だけれど、一人一人が精一杯自分のできることをしたからこそ、一つのチームとしてまとまることができました。最初は先生が泣いてしまうほどの軟弱チームが、私達にとって中学校最後の大会では地区優勝をするまでにチームが団結をしていました。

そうなると、大会当日は12名に選ばれなかったメンバーも必死に応援をしてくれたし、メンバーもその事を感じながらベンチやコートにいました。誰一人「あなたのせいだ」「会場が悪い」なんて人はいない。とにかく自分ができることを精一杯やるだけでした。

何が言いたいのか。
組織のマネジメントというのは、「人」が主役で、個々が生かされていくことであって、決して組織自体が主役ではないという事です。

分かっているよ!という人もいらっしゃるかもしれませんが、誰かのせい、環境のせい、他社のせい、にしている時、きっとそれは「個」の力は充分に発揮されてないような気がします。
「私はこう思うけれど、チームが何て言うか分からないから・・・」って言ってませんか。
自分のこう思うのだって、理由があるだろうし、なんで口にしたり動いてみたりしないの?結局、組織のせいにしちゃってない?

なんだか企業様と触れる中で、繰り返されているこの事態を重く受け止めたくて書いてみました。
あくまでも私見ではありますが、みんなの良い部分が発揮できて、そのよさを集めたら、こんなに強い組織はないのになと思う事があって、私の中で吐き出したい気持ちだっただけかもしれません。

もしも、同じような事に陥っている企業様があったら、何か視点を広げる一つの考え方になればと思い書かせてもらいました。

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