昨日とは違う今日の私

自分の中で、意識してないと忘れちゃうけれど、意識し続けようと思っていることがあります。最近では随分定着し、無意識でもそう観られるようになってきたけれど、それで世界観が変わったこともあります。

それは、人は日々成長しているということです。
当ったり前じゃん!と思った方もいらっしゃるでしょうが、「あの人は○○だから」って思っていませんか。
それだって既に違うということです。日々変化成長しているのですから。

ある部下に対し、リーダーが言いました。「お前にはこの仕事は早すぎる。もっと○○できるようになってからだ。」と。すると、その部下は不愉快そうに返事をし、その場を離れました。

気になって部下に話しかけてみると、何とその部下はもう数ヶ月前から、その○○と言われた仕事はできるようになっているのです。けれども、何度伝えても、観ようともしてくれない。ずっと数ヶ月前の僕を観ているんだ。だから、これからも、僕は新しい仕事をさせてもらえないと思う。と悲しそうに言いました。

仕事の内容自体はわからないから、リーダーを連れて行って「さっき、何ができるようになったらと言われたんでしたっけ?私、分からないから、教えてくださいますか?」と彼の仕事を観ながら説明をしてもらいました。

すると、少し説明をしながら「次の工程なんだ。あれがあいつは覚えられないんだよな・・・・。あれ?できてるぞ。あの工程のこと・・・だったんだけど・・・な。あいつ、いつの間に、今日言ってすぐできるってわけ・・・じゃないし・・・。」とかなり、言葉を詰まらせながら、最後まで説明をしてくれました。
挙句のはてに「あいつ、出来るようになったら言えと言っておいたのに、なんで言ってこないんだ」と。

思わず、「あれ?さっき彼が言ってきたのが、そうだったんじゃないですか?」と尋ねると、かなりの沈黙の後、俺が観てなかったんだな。と呟かれました。その後、すぐに彼を呼んで、次の工程を教えていらっしゃいましたが、既に部下は、また次の工程も覚えてもまた長くその仕事までなんだろうな、というような、気合の入らない様子でした。また、上司は「あいつの教わる態度がなってない」と怒っていました。

私にできることはなく、ただ彼の立場にたって考えてもらいました。
すると、「またか」と思っちゃうのは当然だと気付かれたようでした。その後、また部下のところに駆け寄っていったリーダーは、「すまん。俺がちゃんと観てなかった。これからは観るようにするから、お前も頑張れよ」と声をかけていました。部下も嬉しいのか、恥ずかしいのか、照れ笑いのような微笑を浮かべていました。

その時に、部下の事をみようとしていた私は居ましたが、果たしてそのリーダーの前のときからの変化を私は観てあげようとしていただろうか?もしかしたら、私もその上司に「このリーダーは、部下の観察が出来ない人」という最初からの印象をかぶせてしまっていたのではないかと、思いました。

部下にごめんと言いにいったリーダーは、明らかに先ほどまでのその人とは違うわけです。
私と同じように、意識しないと忘れてしまうかもしれないけれど、でも、さっきまでのリーダーに戻るわけではないのです。「また観てなかったよ」と気付くことはあっても、気付けないリーダーからは成長したわけですから。

私も、日々変化しているからこそ、違う私が居ます。人もそうだけれど、今ここにいる私を認めてあげたいなと改めて思いました。周囲の人も自分自身も変化していることを忘れず、今日の私、今日のその人をこれからも観て行こうと思います。

あなたの周囲の人はどんな変化をしていますか。

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