塵も積もれば山となる

高校の頃に、海の魚が生まれつき背骨の変形しているものが生まれるという事実を知りました。原因は汚染の蓄積によるものだそうです。その魚を人間が食べると、1匹だけならまだ大丈夫だけれど、体内から排出されないので、徐々に蓄積されて、それが子供に母乳で与えられるようになる。ですから、水や土の環境を守ることは私達人間を守ることに繋がると、大学の講義を聴きに行って衝撃を受けたことを覚えています。薬も毒も、塵も積もれば山となるのではないでしょうか。

原発の事で騒がれている今、こうしたことを無知な私が思いのまま書いてもいいのかは分かりません。けれども、何だか「安全だ」という事を強調されればされるほど、世界各国との認識のギャップを感じ、不信感を持ってしまいます。

ましてや、魚の話しを聴いて以来、毒も薬も感情さえも、人は身体に蓄積してしまうんだと思ってきました。
これが思い込みであればいいなと思いながらも、今、被災地の様子を映像としてみるたびに、「自分はまだマシ」と感情を押し殺し、前に向かって協力し、歩み始めています。けれども、この衝撃はきっと感情としても残るのだろうと思います。

そして、同じように放射能も同じではないかと勝手に思っています。
安全だといわれた地域で、初めて聴く単位の放射能レベルが測定され、危険と言われても、その地域は危険じゃなかったのでは?と言いたくなる。作業中に被爆した人も通常の10000倍って、本当にそこだけなの?って気がする。
放射能の残存期間だって、ヨウ素なのかセシウムなのかで、残存期間も違うとネットで初めて知りました。

今、できる精一杯の形だと思うので、それを批判するものではないのですし、危険をあおるつもりもありません。
でも、生きていこうとしている人の感情だけでも、和らげて上げられるような状態を望みたい。

そのために私ができることは?
今は、魚の話しを語ってみる事しかできなかった。どう関係するのか、しないのかも分からない情報で、かりに不安をあおるようになってしまったらごめんなさい。
でも、私達自身が、どう正しい知識を得ればいいのか。今まで安全だった私達も危機管理意識をもつ時が来たのかなと思いました。

そのために電力が2割減っても(夏のピーク時に不足するといわれている電力)、計画停電以外の方法で安定した生活ができるように考えていくことも私達にできることではないでしょうか。

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