昨日(2011年2月18日)は、子供の参観日でした。小学1年生という事もあり、入学式の日にその場に座ることさえ緊張していた子供達が、全員、一人ずつ成長を発表してくれました。その様子を見て、成長というのは、成長した側も成長を見守る側も、成長を確認した時は嬉しいものなのだなと改めて感じました。
成長は共に嬉しい。自分の子供だけでなく、みんながそれぞれ歌を歌ったり、計算ができるようになったことを見せてくれたり、漢字が書けるようになったのを見せてくれたり、マット運動や縄跳びができるようになったことを見せてくれました。その誰もがキラキラ輝いているし、すごいなと感動してしまいました。
成長に目が行かず、今を守ろうと思う時に、人の成長をねたましく思ったり、足をひっぱったりという事を今までには、見てしまったこともありますが、成長を共に喜べる状態であれば、守ることではなく、挑戦し続けていけるんだろうなと思いました。
職場でも、これからの成長の過程でも、成長を共に喜んでいける大人でいたいものだなと、子供達に教えてもらった気がしました。
成長を見せるために、練習し、繰り返して行い、本番に臨んでいます。その成長を成長したねと共に喜べる。そんな共に喜べることに更に嬉しくなりました。
日々の中でも、こうして成長を見つけ、喜び合うことができたら、日々挑戦し続けていけるのだろうな。
あなたはどう思いますか。
コメント
小林さん
お母さんの優しい目ですね (^_^)。
私も、もんな視線でこどもたちの成長を感じたいです。
先日、お年寄りと一緒に1年生の昔遊びに行ってきました。
授業の終わりにこどもたちが、歌とダンスでお礼をしてくれて、みなさんとても喜んでいらっしゃいました。
その中で私の目が向いていたのは、一緒にやろうとしない子やりたくなさそうにやっている子です。
それをダメとは思わないのですが、どうしたのかな?嫌々やっているのかな?と気になるのです。
ドリームマップの授業の後も、楽しめていなかったように見える子が気になり、自分の伝え方を反省するばかりになってしまいます。
たのしんでくれせっかくの感動の瞬間、味わい方間違っているな~と思います。
小林さん
お母さんの優しい目ですね (^_^)。
私も、もんな視線でこどもたちの成長を感じたいです。
先日、お年寄りと一緒に1年生の昔遊びに行ってきました。
授業の終わりにこどもたちが、歌とダンスでお礼をしてくれて、みなさんとても喜んでいらっしゃいました。
その中で私の目が向いていたのは、一緒にやろうとしない子やりたくなさそうにやっている子です。
それをダメとは思わないのですが、どうしたのかな?嫌々やっているのかな?と気になるのです。
ドリームマップの授業の後も、楽しめていなかったように見える子が気になり、自分の伝え方を反省するばかりになってしまいます。
楽しんでくれた子に目を向ければ、もっと違うものを感じられるのでしょうが、せっかくの感動の瞬間、味わい方間違っているな~と思います。
わかさん
わかさんのみんなに楽しんでもらいたいという気持ちが伝わってきました。