笑われて知った自分らしさ

実家で父に手を合わせる時に、仏壇の前で何を話して居るの?と聞かれました。
答えた時に、笑われたんですけど・・・。

父の前で手を合わせて話すのは、「頑張っているよ。」という報告や感謝と、「お母さん元気だよ」という報告。「妹と、私の娘も見守ってね。」というお願い。

「えっ?それだけ?」と。
それだけですよね???
父には報告と感謝しかない。
あとは、見守ってねと、生前から黙って見守ってきた父にお願いするだけ。あと???

母が「あなたらしい」と言う。私のお願いをしたりしないのねって。父は神様じゃないから、父にお願いすることはしないよ。というと、妹や娘の事はお願いしているじゃない、と。

言われてみれば・・・。

その後も、本当によくしてくださった親戚のおじさんに手を合わせに行った時も、おじさんへの感謝しかなくて。ありがとう!と伝えた。
1か月も経たない前に会って、冗談言いながら会話してきたのに、おじさんが遺影になっている事が信じられないのは、父の時と同じ感覚。
亡くなる間際まで自由に、好き勝手言っていたおじさんに、敢えて出る言葉は、私からは感謝しかなかった。

それもまた、母やおばさんからは不思議なようで、「あなたらしい」と言われた。これは今でも、何が私らしいのか解らず・・・。

母をおじさんの所から送る時に、甥っ子の話しになって、甥っ子の一人が私に似てきたというのです。顔でなくて、性格の方。妹と母で「似てるね」と笑ったんだと、母が笑いながら話してくれた。
「自分の事より、人のことばっか。それが要領が悪くて、自分を削ってるみたい。」なんだそう。

人のためにするだけなら、たくさんいらっしゃると思うのですが、笑われちゃうのは、そっか「自分を削る」って部分なんだ。そのつもりも全くないし、どの部分が要領悪くて、削っているように見えるのか、全く見当もつかない。
けれども、それも私らしさというのかな、とちょっとだけですが、なぜかバタバタしている自分を許せる気がしました。

笑われるって悪い事だと決めつけるんじゃなく、自分を知る機会なのかもしれません。
きっと違いがあるから、違いが顕著だから、笑われるんでしょうね。そう思うと、笑われるのも、自分を知り、心の栄養に変えていきたいなと思いました。

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