先日、とある企業様の研修がありましたが、自主性を重んじて、任意の研修でした。
特別、評価にも影響ないのですが、組織の中の大半が参加をしてくださっていて、自主的だからこそ一段と積極的な様子が見受けられました。私としては、感動しかありませんでした。
この自主性ってどこから生まれるんだろう?
「前から知りたかったんですよねえ。」
「自己流だったから、何とか基本を知りたくて」
伺っていると、「疑問を持つこと」なのかなあと言う仮説が立ちました。
更に、「もっと良くならないかなあ、と思って。」「もう少しあの時に上手くできなかったかなあ。」と、「更に良く」という思いの方もいらっしゃることにも気づきました。
人によって違うにしても、「もっと」や「どうしたらいいんだろう?(良かったんだろう)」という自問自答が起こっていると、その答え探しを自主的に始めるんだなと言う事にも気づかされました。
だからこそ、質問もたくさん出て、目いっぱい時間を使ってしまいました。
疑問を持つ。
大切な事だなあと改めて感動と、どんな疑問を持つかによって、その後の行動も変わるんだろうなあと思いました。
更に主体性につなげていくには?
これから、更に「自主性や主体性ってどうしたら持てるんだろうか」を探求してみたいと思います。これが私の学びの主体性の当面の源になるのかなあ。
あなたが、自主的に行っていることって、どうして自ら行えているのでしょうか。
コメント
私の場合は、過去の良かった経験をもう一度体験したいという気持ちで自主的に動いている気がします。
誰かに喜んでもらえたこと、勉強したことが役立ったことなど。
一方でちょうど昨日のことですが、会議で多くの出席者がいたものの発言される方はいつも同じ決まった人でした。
これって自主性がなくなっている例ですが、あの人がやってくれるという諦めがあるような気がします。
人間は学ぶ生き物なので過去の経験で自主性がどうなるか決まるのかもしれません。
山本さん、過去の経験から学ぶ。そうだなあっと感じました。
会議で発言しない人も、実は「発言しなくても何とかなる」という事を学んでしまっていて、それも望んでいない形の自主性?なのかなあと感じました。
そういう人達を、もう一度「発言してみよう」「発言してみたい」にするには、何があったらいいんでしょうね。
うーん、悩ましい。