期待のかけ方って難しいな

あなたは期待をされることって嬉しいですか。それとも辛いですか。それとも他の感情が?
期待をかける方も難しいなと感じる事がありました。

私自身は、期待をされて伸びてきた小学生時代。
天才肌ではないので、コツコツしているうちに積みあがったものに期待をされる事が多かったです。

だからこそ、ある時期からは期待が重くて、期待に応えられなかった時に相手を悲しませてしまうんだろうな、とか、期待に応えられるように頑張っても、もう無理なのに、まだ頑張れというの?など、期待されればされるほど、「私はそんな人じゃない」「私はそんなんじゃない」何度も心の中で叫びました。
けれども、それでも期待をしてくれる親、先生達、小さな地域の噂に応えようと必死だった気がします。

その先、期待に応えられない時期があって、やっと「期待」から解放されて、凄く安心して自分を出せるはずなのに、期待にずっと応えてきただけから、自分がどうしたいのか、何をしたいのか、全くわからなくなっていました。というより、そもそも本当にあったのかも判りません。

そんな子供時代を送ったことがあるのに、どうしても未来ある人達に期待をしてしまいます。今からなら何でもやれるじゃん!と。
「何でも」じゃないことは、きっと私も解っているのに、今から思うと、周りの期待に応えるしか考えていなかった私は、「何でも可能性がある」「自分で自分に期待する」という事をしてこなかったのだと思います。
だからこそ、小中学生に特に、「やりたいこと、何でもやってみていいんじゃないかな」と思うし、「積み重ねれば、期待される位にはなれるよ」という事を感じます。

一瞬しか関わらない小中学生は、その一瞬で「自分への期待」を膨らませてくれたり、「やってみようかな」と感じてくれるメッセージを送る事ができるようになったのですが、自分の子はそうではないです。

「○○をしたい」と意志を伝えてくれば全力で応援していると、「重いから、やめてほしい」「無理かもしれないから」と伝えてきます。伝えてくれるだけまだ良いのですが。
そんな事があるからこそ、「××もしてみたい」と言うと、一瞬の体験ならやらせてあげられます。でも、時間のかかる体験は、「あまり期待しすぎないようにしよう」と思って、見守っていると、そういう時は「もっと応援してよ」と言ってくるのです。

難しいなあ。

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