本当に相手のためを考えているのだろうか

相手のためを思えばこそ、伝えているというつもりなんだけど、よくよく考えると、自分のためなのではないだろうかと気づいてしまう瞬間があります。
それでもブレずに相手のためを考えている人の気持ちは伝わるものだなと感じました。

最近起こったばかりのことですが、お客様の心配をしている時に、内容は詳しく話してないですが、話をした人が居ました。
その人は、本当にいつも冷静で、私にとってはお姉さん的な存在の方で、何かあると普段から親しくしているわけでもないのに、相談に乗ってもらうことがあります。
ましてや、その方は主婦なので、お客様のお話をざくっとしても、身近なことの置き換えて捉え直し、自分ごととして聞いてくれているようです。
そのため、根掘り葉掘り聞いてくることもなく、私として守秘義務も守れるし、どこか突破口が見えない時に相談する相手になっています。

その方に相談するのはなぜか。
徹底して、「相手のため」がぶれないことです。

私がどうしたいのか、私もためももちろんあるようですが、私が悩んでいる先の相手のため、を思って、家族のことなどに置き換えながらではありますが、考えてくださいます。

そして、「何がその人(企業)のために一番いいのかなあと考えると・・」と言うように、話をしてくれます。
それを聞いていると、「あれ?私は本当は私の思い通りにしたかっただけで、相手のためと言いながら、私の思いを押し付けていこうとしていただけなのではないか。」と気づくことがあります。

「ああ、またやってしまった。」と思うことが、思い入れが強くなってきたお客様ほど起こります。
お姉さんに言わせると、「まるで自分の子供に接しているみたいだね」と。
上下関係はないはずなので、本当に寄り添っていれば「親友みたいだね」と言われても良いところが、上下関係かあ、と。

そのことに気づいた時に、入ってくる「私の子供に接するとしたら、◯◯ってしているかなあ」「私が友達に接するようにするなら、◯◯かなあ」と。詳しく話していない分、比喩で返ってくるのだけれど、その比喩をまたそのお客様に置き換えて考えてみると、「相手に問題があるのではなく、私に問題があるんだろうな」と思います。もちろん、「私がどう接することができるのか」を考えているわけですから、相手の問題ではないのですが・・・。

ああ、なんと身勝手だったんだろう、と反省。
相手のためにしようと思えば思うほど、自分の考えを押し付けて、本当は誰のためなのかわからなくなってしまっている状態。

改めて、相手のためだと思うのであれば、相手がどうしたいのかをとことん聞いてからでした。
当たり前なのに、たまに忘れてしまうのか、自分の押し付けになってしまう。
まずこのことに気づかせてくれるのは、多くの場合、とことん相手のことを考えているお姉さんにはっとさせられることが多いのです。

家族のあり方も素敵だからこそ、相談をし始めたお姉さん。
何より素敵なのは、相手のため、がぶれないこと。
私も、相手のため、をとことん極めていきたいです。まだまだ「相手のためのふりした、私の押し付け」になっていることに気づく私でした。

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