垣間見えるものは一部に過ぎない

私が定期的に伺っている企業様で大切にしていることがあります。

それは、

「全部を解ったつもりにならないこと」です。
当たり前の事に思えますが、定期的に通っているからこそ分かる変化もあります。けれども、垣間見えるものが全てではないということ。

考え方や言動にも、過去の経験があっての変化であったり、周りからの影響も受けていると思います。
変化は、何かあっただけではなく、体調からの事だってあるかもしれません。

私自身も見られる側だったとしたら、同じことを思います。
厳しく関わって欲しい。というオーダーがあり厳しい研修をさせていただいた後、厳しく関わった企業の参加者と別の場所でお会いしたら、「あれ?今日はにこやかにされていて、いいことでもあったんですか。」と。
いえいえ、オーダーがあったからの事だから、とも言えず、「そうですかね。」とにこやかに聞き流していました。心のどこかでは、「その瞬間だけで、私の全部のように思わないほしい。」と思った瞬間でした。まあ、本当はどの瞬間も私の一部なので、間違ってはいないですけれどね。

そんな体験もあるからこそ、一部を見て全て解ったつもりにならないようにしようと決めました。
けれども、最近は結構、自ら成長のために、厳しい言葉を欲していたのでしょうか、それとも本当に悪い部分だけが出ているのでしょうか、私自身が厳しい言葉を受ける機会も多く、人との接し方を模索している最中です。

そんな中で、ある方がこんな事を仰ってくださいました。
「smilecoachさんは、コツコツゆっくり派だと伺いました。コツコツやっていらっしゃるのかもしれませんが、私にはみんなと同じペース、或いはそれより早く進んでいるように思います。きっと毎日毎日、いろんなコツコツに時間を割かれているから、そんなに時間を無駄にしないようになられたのでしょうね。」と。

嬉しい反面、「時間にゆとりがない」という自分をバシッと指摘された気がして、他の人に言われた言葉と合致したので、自分で重く受け取りました。
けれど、周りからは同じペース或いはそれ以上のスピードで進んでいるように見えているというのは、言われて初めて気づきました。
確かに、自分にプレッシャーをかけ、あれもこれもやりたいなら、やればいい。でも、時間は限られているから時間を有効に、と思ってきたなあと思いました。
でも、これは後付けです。

正直、いつから要領よくやりたかったのか。
そんな周りを気にし出してからでもないし・・・。考えてみたら、ゆっくり自由にしていた時期もあるのになあ。

そう考えてみると、もう幼少期にさかのぼります。
親から繰り返し言われる言葉「早くやれ」。
朝は何時に起きて、帰るのは何時で、何時までにこれをして、と決められていた。その時間までに終わるようにしないといけないから、友達と遊ぶのはお帰りまでの時間だけで、あとは時間通りにしなければならないことが決まっていた。
そうした生活になれてしまうと、時間が決まっていた方が動きやすいし、早くやらないと怒られる、とでも思っていたのでしょうか。

それだって、今思えばだから解りませんが、小学校に上がるころには、もう「早くやる」「時間を決めて動く」というのが習慣化していたので、考えがどうとかじゃないんですよね。長い長い成長の過程で培ったものの、今は一部でしかないんですよね。

どんなに私を理解して伝えてくれた言葉でさえも一部なんだなあと思った時、私が人を観察するようになってから、決めつけが増えていたのか、恐ろしく思いました。

こうした事を改めて書きたくなったのも、最近ある事があったからですが、その内容はその場にいた人が読んだら解ってしまうので、許可も取れていないですし、話す事ができません、が、どうしても伝えたくなったからです。
ある一瞬は、その人の一部でしかない、という事を。

その裏側には、その人の生き方、環境、体験に基づいた考え方、最近の体調などなど、たくさん隠れている部分があるんです。
その部分を観ようとしないで、決めつける事はしたくないなと改めて感じたので、書かせていただきました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました