良い悪いは誰の裁量?

誰しも多くの情報から取捨選択するには、要不要の基準があります。
良い悪いもその人達の環境?によって、みんな違います。
なのに、最近は悪いと言っている人達の声に反応しすぎているんじゃないかと思います。私を含め・・・。

最初は耐性がなくなってきているのかなと思っていましたが、そういう問題だけではなく、良いと思う人は期待を超えていない限り言葉を発しないけれど、悪いと思った人は、他の事でも溜まってきているストレスを発散する場として使ってしまうこともあるのか、すぐに言葉に出します。だからこそ、悪い声の方が届きやすくなってしまったネット社会という環境があるのかなと思います。

けれども、原点に変えれば、善悪は誰の裁量でもあり、一人の裁量が全てでもありません。
無視するのか、受け取るのかも本当は選べるはずなのに、悪い反応の方が届きやすいから、ついつい反応してしまうのではないでしょうか。

お陰様で、今のところ、「こうして欲しい」という要求という形で伺うことの多い私には、まだ縁遠く感じた反応でしたが、先日たまたまお客様の所にお越しになった方が、「◯◯が酷い」「◯◯さんの誠意を感じない」などと仰っていました。
お客様の所の社員さんが、対応に困っていると、経営者の方が透かさず対応をかわられて、具体的な内容を伺っていらっしゃいました。

私は、その経営者様の所に伺っていたので、その間聞こえてしまう位置で、ずっとお待ちしていました。

すると、内容は言えませんが、どうもその人の受け取り方にも偏りがあるようでした。
が、誠意が欲しいと仰っているお客様なので、どんな事をのぞんでいらっしゃるんだろうと思って聞いていると、根っこには「目を合わせて会話をしてくれない」という事が気になっていらっしゃっていて、「私を大切に扱って欲しい」という事だったようです。

確かにお客様なら私でもそうなのかもしれません。
そう思いながら聞き続けると、経営者が直接、その人と目を合わせて、話をじっくり聞いてくれた事で満足されはじめたようで、「まあ、注意しておいてね。社長が直接きいてくれて、それだけでいいわ。また来るから、次は宜しくね。」と帰っていかれました。

経営者様とその後お話を再開した際に、「素晴らしい対応ですね」と率直にお伝えしたところ、「まあ、良く感じて頂けるのか、そうでないのかは相手が決められます。結果として良い方向になりましたが、お客様の事をどれだけ知ろうとするか、というのは経験上、突破口になっている気がします。先程の方が、今度いらっしゃった時には、良い対応をしたいものですが、社員にはあの人だけ丁寧にって事ではないので、全体としての教育を考えて行く必要がありますね。せっかくのお言葉をどう受け取って、活かすのか。或いは聞き流すのかを判断するのは、私の役割なのでしょうね。」とお話してくださいました。

改めてそうだよなと思いながらも、とっさにその行動ができる経営者だからこそ、多くの社員を抱えても混乱なく経営を続けられているのだろうなと感じてしまいました。

「聞き流す」という言葉もあったので、どんな時に聞き流すのかも伺うと、自分達では対応できない事に対して不満を仰ったり、既に会社の責任とは言えない部分の事を文句を言っていらっしゃる方がいらっしゃるそうです。
そういう時には、しっかりお話をお聞きした上で、言葉を選びながらその場で対応を終了にさせる方法を考えられるそうです。

どうも「望んでいることは何か」を知ろうとすると、聞こえてくるのだとか。

コーチングもそうですが、やはり、どんな時にも自分の判断がつきまといます。自分で選択することは大切ですが、選択できるということ自体を忘れないようにしたいものですね。

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