競うって大切な気持ちなんだなあ

昨日(2010年9月25日)は、娘の運動会でした。観戦している方も、頑張っている子供達も、競うって事って大切なんだなと痛感してしまいました。何が起こったのでしょうか。

紅白に分かれての運動会。最初の応援合戦や学年全員での踊りなどの表現があって、いざ紅白に分かれての戦いのスタート!

個人競技も紅白の帽子で順位によって点数が確認されて、加算されていきます。個人の時にはどちらが勝つというより、親も子も自分が一つでも順位が前になるよう、精一杯頑張っています。親もその頑張りをビデオや写真に収めようと必死に撮っています。小学校5・6年生が自分達で準備運営する中、段取りよく続けられる個人種目。
その後、徐々に団体戦へ。リレーに綱引き・障害物リレーなどなど、趣向を凝らした各学年にあった競技が続けられていきます。

そんな中、ある変化が・・・。常に白組が上位を占めるのです。白組が勝つたびに「はあ、また白だ」とため息。赤組の応援団の元気もなくなってきます。けれども、あきらめず応援を続ける親達。先生達。生徒達もその応援に応えようとしますが、まだまだ子供ですから、何となく元気がなくなります。

学年が代わり、違う競技に。やっと赤が勝ちました。競って競って赤が勝った時にはみんな大喜びでした。

「つまらない」後ろから小さな子の声が聞こえました。「つまらない。だって白が勝つの決まってるもん。」

そうだなあ。ふと「モチベーション」について調べて、部下に試してみた時のことを思い出しました。

ちょっと頑張れば手の届きそうと思うとすごく頑張れるのに、頑張っても絶対追いつかないと思えるほどの目標を与えた時には、最初から諦めてしまって、日頃の力以下の力しか発揮できなくなってしまいました。それでも頑張って欲しくて、小さいゴールの積み重ねにしてみたら、小さいゴールをクリアするたびに近づく事を感じて頑張りぬいてくれました。けれども、今回の運動会では、ただ目の前にある歴然とした差だけが見えてしまっているのでしょう。

とはいっても、頑張っている子も居ましたよ。何とか追いつこうと頑張っている子も居ました。けれども諦めてしまっている子が力を出せないから、頑張っている子が居ても団体戦になると成果に繋がらないのです。チームって全員が頑張らないと形にならないんだなって目の前で見せられながら、何とか頑張れない子達を応援したくなってきます。でも、ギャラリーの一人でしかない私には精一杯応援するしかありませんでした

午後の応援合戦でやっと赤組が勝てて、希望が出て来ました。その後、元気を取り戻した赤組は、白組に追いつけそうだとまた奮起しました。親も赤組への応援から、また白組赤組それぞれの応援に戻っていました。
最後の紅白選抜リレーも抜きつ抜かれつで、応援にも声援や拍手など大きな盛り上がりを見せました。「これこれ!」と思うほどの一体感を感じる盛り上がりでした。

結果は白組の勝利で終わりましたが、それでも精一杯頑張れた生徒達は晴れやかな表情をしていました。中には悔しくて泣いている赤組の応援団の子が居ました。その悔しさってきっと大きな力になっていくんだろうなと感じました。

まあ、興ざめしてしまったのは、そんな悔しい思いも含め、みんな頑張った事をたたえあっている各組の応援団の退団式。思いが詰まっているだけに少し長めにはなっていた。あと少しというところで、放送担当の先生が「はい、これで終了します。皆さんは椅子を片付けてください」とのアナウンス。「ちょっとちょっと。子供達の最後の気持ち、しっかり受け止めてあげなよ!」とあまりにも杓子定規に進められたことがかわいそうでした。これだから、生徒達が思いを込めることも、伝えることもしなくなっちゃうんだよ!って思いでした。近くに居た親御さんも皆さん「もう少しだから待ってあげたらいいのに」「ウチの子、今年6年生だから最後まで悔いなく終わらせてあげたかったわ」「最後のありがとうございましたって挨拶くらいみんなでさせてあげたらいいのに」口々に子供の思いを受け止めてあげたい親の気持ちが文句となってでていました。

とは言え、終了してしまえば、その分親の口から「頑張ったね」という言葉をかけてあげているのが、印象的でした。

目標がちょっと頑張れば手に届きそうなときにみんな100%で頑張れるんだなということ。フォローが大切ということ。
昨日の運動会を振り返ってみて、ちょっとモチベーションという観点から見てみました。実際その場では、一母親として必死に応援していましたけれどね。

さて、あなたは自分の精一杯で頑張れている事って何ですか。

周囲の人が精一杯で頑張れる環境を造ってあげられていますか。

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