言ってる事と違うじゃない

「言ってることと違うじゃない!」
私が久々に怒ってしまった時に発した言葉・・・。
相手の言い分も聞いていないのに・・・。

私も色んな経験を積んできて、かなりいろんなことが許せるようになりました。若い頃なら「こうでなければ」「これが正しい」と思っていたことも、「私はそうだけれど、相手はどうなのか。」を考えたり、聴けるようになってから、随分受け止め方が変わり、結果として周囲には「丸くなった」と言っていただけるようになったのは30代中旬でした。

それ以降も何か経験する度に、丸くなったり、逆に個性が引き出されたりしてきたように思います。

が、私の中で「頑張るというのは見えないからこそ、形で見えるようにしていくことも大切」と考えて、どんな事もまっすぐにやってきました。「やると決めたらやる」「約束したら守る」なんて事を続けてきました。

けれども、時に「信じていたのに」と思うことも起こります。
自分だけに求めるのではなく、廻りにも求めてしまっていたのでしょう。

最近も、「◯◯をしていきたい。だからこそ、今は☓☓をする時期。頑張ります。」という人に対し、一緒にワクワクし、頼もしくも思い、どんな風に頑張るのか見届けたいと観ているけれど、一向に動く気配がない。

「あれ?今日から頑張るんじゃなかったっけ?」
それでも、たまたま見えてないだけかもしれないから、見守ってみよう、としているが、1週間経っても、1ヶ月経っても、一向にやろうとしない。

「ねえ、いつから頑張るの?」と聞いてみると、「今からです」というが、全く動かず。
解らないのかなあ?
体調が悪いのかなあ?
障害になることがあるのかなあ?
色々心配してみても、本人を信じたい。見守り続ける・・・。

私が気になりだしてしまった事で、私がお節介を抑制するのにも限界がきてしまいました。

「ねえ、本当にやりたいの?無理しなくていいよ。」
「大丈夫です。今日からやります。」

またその言葉だ!と思った瞬間に、理由も聞かず口から出たのは「言ってることとやってる事が違うじゃない!」
完全に怒っている口調。

ずっとニコニコと見守っていた私が急に怒ったから、「すみません」と言って、そそくさと始めました。
が、その背中が丸くて、小さくて・・・。

何か理由があったのか。やらない理由は何だったのか?
本当に今が背中を押す時期だったのか?もっと他に背中の押し方はなかったのか?

頭の中でグルグルと反省なのか、動き始めた事への応援なのか、複雑な気持ちが沸き起こりました。
時間が経てば立つほど、「本当はやりたくなかったのではないか。」「私にそうやっていったら喜ぶから言っていただけではないか。」と、私が無意識に与えていたプレッシャーがあったのではないかと、反省しかなくなってきました。

時に「叱る」のは効果があると思いますが、私のは完全に、我慢していた感情をぶつけただけ。
今怒るくらいなら、途中でもっと関われる事があったんじゃないか。

怒ってしまった今は、後の祭り。
今は、相手をフォローするしか術はないのです。
いや、フォローするにしても、いくつかフォローの仕方を考えるしかないのです。

やってしまった事は悔やんでも元には戻らない。
先を見て、相手のためだと思った事であれば、相手のためにできるフォローを考えて関わるしかないんですよね。
まだまだ未熟者です。まだまだ感情のコントロールさえしっかりできていません。

これもまた成長の糧にしていくつもりで、この先の相手に、どんなフォローができるのか、考えてみたいと思います。

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