あなたなら出来る

「不可能」という事をついつい伝えてしまうことがありますが、本当にそうなのでしょうか。
「できない」のか「しない」のか。「行けない」のか「行かない」のか。「時間がない」のか「時間を作らない」のか。

ほとんどの場合、「不可能」と決めているのはその人であって、本当にそうなの?と聞いてみると、「否定的な意思」が働いているだけの事が多いように思います。

自分が、いつも「不可能」と言いながら避け続けてきたことがあります。けれども、やりたくないだけで、本当は「できない」わけではないことに気付いてしまいました。「不可能」という言葉を使うことで、自分を守っていたのかもしれません。今日は、正直に「●●まではやらない」と宣言をしてみました。

すごく勇気は要りましたが、自分の中ですっきりしました。やれない理由ならいつでも、いくつでも作り出せるということは、本当にやれない理由ってのはないんじゃないかと気づく事で、明確に伝えないといけないと思いました。
しっかり伝えた後、まだ相手にどんな風に感じられているのかは、推し量るしかないのですが、ありのままの状態だという事は伝わると思います。

製造業のときに、部下に「できない」といわれるために、どうしたらできる?と聴いてきました。

けれども、「出来ない」と思っている人にとってはその事はストレートすぎたのかもしれません。段階を踏んで、「本当にできないのかな」と聴いてみるのも違っていたかもと思いました。人は解釈8割位の話をするとの事なので、解釈であることを認めてから、やりきるためにはというお話をすると、結局同じ問いでも、応えやすくなっている気がしました。

あなたは「不可能」だから否定しているのでしょうか。
それは本当に「不可能」なのでしょうか。

このことを見守る側は、この人なら出来るという思いで聴いてみる事で、その人の意志を感じることができませんね。

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