その時間を使う意図

改めて「時間はコントロールできない」からこそ「時間の使い方を考える」と思ったのですが、それ以前に「何のためにその時間を使うのか」なんだなあと考えさせられました。

ある事例が紹介します。

やらされ感満載の仕事があって、やらなければならないからやっているだけと思っていたAさん。
しかし、Aさんに対し、「それって本当にやらないといけないの?」と伺った所、将来の事を考えるとどうしても必要である。という事でした。
「やらされている」から「将来の(自分の)ためにやる」というのでは、費やしている時間の意味が変わってくるという事を話してくれました。

Aさんの場合、やっている事が変わったわけでも、時間の使い方が変わったわけでもありません。
けれども、自分の将来のために、と思っただけでも、前向きに取り組むことができ、「無駄な時間」と思っていた時間が「有意義な時間」ととらえ方が変わったのだそうです。

このやりとりをしながら、感じたのは、時間は等しく1日24時間であるとしたら、それを変えることはできないけれど、何をするのか、何のためにするのか、は、私たちは選ぶことができるということではないでしょうか。

とは言っても、営業職と事務職、管理職を並行してやっている時は、本当に削ぎ落として、意図の解らない事をやらないと決めてしまったら、「対話をする」という事がムダに思えてしまって、部下とのコミュニケーションが希薄になりすぎてしまったことがありました。
自分だけだと、「意図」を偏った見方で見てしまって、後から取返しのつかないことになることもあるんだという体験をしました。

だからこそ、たまにその「意図」も俯瞰的に見てみる時間が、忙しいと思える時ほど必要だと私は思います。

ここのところ、少し休みも頂きながら、娘との時間を楽しむつもりが、結局寝込んでしまって、娘には一段と淋しい思いをさせてしまいました。きっとその前に無理しすぎてしまったのだと思います。
短絡的な時間の「意図」に振り回されるのではなく、「今」も大切にしながらも、「先」も考え、両方のために費やす時間もみつけていきたいと思いました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました