我以外皆我師

故吉川英治氏=『宮本武蔵』や『新平家物語』で著名な作家、の言葉
我以外皆我師(われ以外みなわが師)という言葉を作品の中で「宮本武蔵」に語らせたと言われています。
昨日の一期一会に通ずるものもあれば、「人のふり見て我がふり直せ」にも似ているかなとも思います。
昨日、クライアントさんとお話ししていて、そんな言葉が出てきて、良く父に言われたなあと思い出しました。

私の父は、破天荒な子供時代を送った人だったようで、地域の人で「ワル」として知らない人は居ないと聞きました。
確かに「ああ、○○さん(父の名)の子!」とよく言われたものでした。

けれど、私が知っている父は、本が大好きで、物知りで、口数は少ないだけに怒ると怖くて、言っている事は正しい。ただ酔うとお母さんを困らせてばかりの人で、お母さんが良く謝って歩いていたのを思い出します。

だからこそ、「お酒で失敗したくない」と言う思いもありますし、父の凄いなと思った部分はマネしていた気がします。
その父が、この言葉をよく口にしていたのです。

父を変えたのは、誰か特定の人ではなく、それまで出会ってきた人たちだったのだろうと思います。
小さいころから、我が家では宴会が行われる事が多かったんです。父の友達が集まっては宴会、カラオケ・・・。準備も片付けも母や私たち。お酒を注ぐのもいつも母でしたが、小学生になってからは私。歌を歌わされる事もありました。

嫌だなあと思うことも多かった時に、母が「お父さんは、これだけの人達が集まってくれる何かを持っているんだね。」「人が寄り付かないより、集まってくれるっていいよね。」とずっと笑っているんです。
その母も凄いと思いましたし、父の何がここまで友達を引き付けるんだろう?と思いました。

他の人が声をかけても集まらないのに、父が「集まるぞ」と言うと少なくとも4人は集まる。多いと大宴会の10名以上。
何なんだろう?

みんなも父が怖い?いや、いじられている。
集まるのに便利だから?多少あるにしても、ここ狭いし・・・。
うーん。
正直、解らないままです。

でも、一つ解ったのは、母の存在。
母が嫌な顔一つしない。
謝って回ることも何ともない。
「惚れた弱みよ」って私たちにも父を擁護し続ける。
今の私にもできてないことが沢山ある気がするけれど、そのことに気づいた高校時代から、母が私のモデルになりました。

でも、父から教えられた「しつけ」に関しては、その後の私にマイナスになった事は多分ないです。きっと父が学んできたことを、しっかりと教えてくれたおかげなんだと思います。

そんな父と母の育て方を娘にしてみようと思っても、真似したくない部分も多少あって・・。その影響が良く出たり、悪く出たり。
でも、きっとそんな娘からも私は沢山の事を教わっている最中なんだと思います。

昨日は多くの人と出会う話をしましたが、近くに居る師匠も忘れないで、目を向け、尊敬をしていきたいものですよね。
近くに居てくれる家族にも、支えてくれる人たちにも、感謝ですね。
ありがとう。

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