違いがあるから「違う人」ではない

違いがあるから、お互いの特徴を活かすことができると言われますが、本当にその通りだなあと思います。
でも、「違い」を「違う人」として、別のワクに置いてしまうと、その人の体験も自分の疑似体験にならなくなってしまうなあと思いました。

ある時、ある女性管理職の方のお話を聞く機会がありました。
私は、「どんな考え方をするんだろう」「どう乗り越えてきたんだろう」と参考になることも多くて、実りある時間でしたし、まだ私にも出来ることはあるんだろうなと思わせられる時間でした。

しかし、一緒に聞いていた人たちの反応がイマイチ・・・。あれ???

確認をしてみると、「あの人は、◯◯という業種だからなだけで、参考にならない。」「◯◯の趣味があるから良かっただけ」などと、違いがある部分だけで、自分の中に取り込める事に気付けない。違いを見つけるために聞いていたの?と思うほどです。

「自分にもできそうな事はない?」と言うと、「私の環境では無理」と。
環境のせい・・・・? 環境を変えていらっしゃった話しもされていたよね、と言っても、味方が居たから。
味方を作ってきた話しもされたよね、と言っても、そんな時間がない。

そっかあ。「違う人」って思っちゃったから、それ以上聞けなくなってしまったのね。少し残念に感じたけれど、それが現実なのかもしれません。
多分、私もコーチングを受ける前はそうだったのかもしれませんね。

確かに違います。
でも、この部分から始めようと思う、小さな事から始まっていくんじゃないでしょうか。

本当は語り尽くせない程の大変な事もあったのでしょうが、それは今となっては大変じゃないから、語っていらっしゃらないだけだと思います。現に私も、「そんな事があったんですか。」と言われて、これって確かに当時は大変だと思っていたかもなあと気付かされる事もあります。
でも、大変な事が起こる時って、本当に複合的に色々な事が起こるので、どれが大変なのか、何が大変なのか解らなくなるほど、「その瞬間」をクリアすることに集中しているんです。だから、過ぎてしまえば大変だったことも忘れてしまっている事もあるのです。

本当は、沢山の大変な思いもしていらっしゃるんだと思います。その中でも「ここが肝!」と思っていらっしゃる部分を話してくださっているのですから、私達の参考にならないはずがない。
なのに・・・。

勿体無い。「違う人」でも「違う環境」でも、皆さんと同じように、1つずつ乗り越えて今があるんです。
一つずつ乗り越えた事を聞いてみたかったら、個別に「こういう時はどうされました?」と聞いたほうがきっと聞こえてくると思うんです。

私も沢山乗り越えてきたようです。それを話して下さいって言われたことがありますが、大きな事が目について、日々乗り越えてきた事は聞かれなければ思い出せない事も沢山あります。それは、きっと誰しも同じ。日々の中で大変だからこそ、「この人には判ってもらえないだろうな」と思ってしまうのでしょうね。

でも、偏見を持たないで、自分達と同じ歩みをしてきたと思って聞いてみませんか。何か違う事が聞こえてくるような気がします。ちょっと近づいて、もしも自分だったら?と聞いてみませんか。

「違う」と抵抗した瞬間に、相手の事が急に見えなくなったり、聞こえなくなったりしてしまうと私は思っています。
「違うからこそ」聞こえてくるもの、「違うからこそ」参考になるもの、「聞こえてこないからこそ」聞いてみたくなるもの。ちょっといつもと違う視点で、見聞きしてみませんか。

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