中途半端って言わないで

両立をしている人を中途半端という人が居ます。
確かにそう見えるかもしれません。どちらにも逃げ道があると思うこともあります。
でも、両立は逃げ道ではない。
中途半端にやっているつもりもない。

以前の職場で言われました。
「猫の手も借りたいほど忙しい時に、猫ではない、人を工面してもらい、その人達に少しでも手伝ってもらったら、何の文句があるのか。」と。
与えられた環境の中で、しっかりと手伝ってくれた事に感謝できないで、「来ない」だの「休みが多い」だの「時間が短い」だの言うな。と、自分に伝わるように翻訳すればそんな風に言われているんだと、自分なりに解釈をしました。

凄く納得しました。
居てくれなくちゃならないのを感じているから、もっと居て欲しいと思っている自分にも気付きました。
でも、決してその人達は中途半端じゃない。
中途半端なのは、私の関わりだった気がします。

今、仕事も順調だからこそ、家庭とのバランスで困っていたけれど、考えてみたら、家族との会話を避けていたように思う。そのことが中途半端だったのであって、仕事や家事を中途半端にしたつもりもない。
でも、それを「中途半端」の一言で済まされることほど、悲しいことはない。

こういう時ほど、対話が重要なのでしょうね。

不器用な私は、どちらもすぐにやってみようとはできず、今月は家族との対話のために、時間をとってみています。
けれども、避けてきたであろう対話をすぐにしてくれるわけもなく、娘との対話が徐々に増えてくれば来るほど、受け止めてなかった娘の感情や、私の押し付けになっていたであろう姿勢を知ることになっています。
でも、今逃げたら、本当に中途半端になると思います。
だからこそ、仕事が忙しくなる前のあと1週間弱はしっかり娘との対話を続けていこうと思います。
娘から、私自身から逃げないで・・・。

見える形って、私のあり方をそのまま反映しているのかもしれません。
中途半端と言われたくなかったのは、中途半端な部分があったからなのでしょう。逃げないで、自分のあり方を娘との対話から見つめなおしてみます。

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