前向きになることは誰でも出来ている

今日(2010年8月12日)ももしかしたら大雨で新幹線に影響が出るかもしれないと天気予報が伝えてくれた。しかし、まだ予報だけだからなのか、非常に前向きです。今日だけではなく、結構前向きに考えると良いことが起こる気がするから不思議です。

1時間に1本しか通過しない踏み切りで、たまたま遮断機が降りました。「ラッキー!こんな偶然にあたるなんてこれはいいことがありそうだね」と一緒に居る人に話したら、前向きですねと言われました。帰り際、またその踏み切りがもうすぐ降りる時に、急いで帰りたい私達は遮断機が降りる前の警告音が鳴り出した時に通過し終わりました。「ラッキー!ギリギリ通過できるなんて、必ず電車の時間には間に合うようになっていそう」と思いました。また前向きだといわれました。
夜の講演が中学校の体育館で行われたのですが、ちょうど感動の話しをしている時に蝉が鳴き始めました。「おおっ、蝉も泣いてくれているのね。蝉が鳴くたびに思い出せるじゃない、ラッキー!」そんな事を思いました。感動の話しをしている時なので、その事は口にしませんでしたが、何人かでも思い出してくれたら嬉しいです。

そんな一日を過ごしてみると、何度も行ってもらった「前向きですね」という言葉が自分にも響いてきました。
考えてみると、小さい時はネガティブだったのに、いつから楽天的になったんだろう?

いつからだろう?と考えていて、そのきっかけが一つなわけではないことが分かってきました。私もかなりいろんな失敗などを続けていました。そのたびに乗り越えてきたという自分の経験が、「これだけで済んでよかった」とか「命があってよかった」とか「あれ?悩んだけれど大したことじゃなかったのかな?」ということを繰り返してきました。

私の大切なメンターのお一人でもある朝倉千恵子先生は「困難を乗り越えるたびに強く、そして人に優しくなれる」と話してくれましたが、「強く」という中に「前向きになれる」ということも含まれているのかもしれないと思いました。
強く、前向きに、優しくなれるのであれば、どんな体験もいつでもいらっしゃいと思えば、ちょっとした体験が「ラッキー」に見えてくるんですよね。
きっと人間力を鍛えられているのだろうと思うと、嬉しい事でもあるのです。

良く人間性はそんなに変わるものではないと言われますが、日々どの人も鍛えられ、磨かれているのではないでしょうか。最初から持っているけれども磨かれてなかった部分が、体験を通じて磨かれていくのではないでしょうか。

全ての体験が私達を育ててくれているとしたら、生きているだけで学べるものもあるし、生きているだけでラッキーなのかもしれません。
「前向きな考え方を持ちたいけれどどうしたらいいですか」と聞かれることがあるのですが、体験を通して何を得たのかを考えていけるようになるだけで、自然に鍛えられ、自然に実になっていっているのではないでしょうか。
もしかしたら、何を得たのかを考えられなかったとしても、その人が乗り越えられたらそれだけで、見えない前進はしたのではないでしょうか。「前向きになる」のではなくて「既に前向き」なのが私達ではないでしょうか。
あなたはそのままで素晴らしい

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