何でもやってみなくちゃ進まない

最近、情けない事に体調が悪いことが多かったので、本当に良く寝ました。が、そのせいとは言わないのですが、いつもと同じように勉強会に参加してみたら、全く頭に入ってこないのです。
あれ?どうしたんだろう?
理解力?
この人のお話しが早口?
ウーン解らないけど、いづれにしても、耳で声をキャッチしている感がない・・・。

正直、凹んでみたけれど、1日経ってみて、そんなことで凹んでいるのが勿体無いなと思えるようになりました。
この体験からも学びはあるものですね。

凹んでみても、家族との会話はあります。
娘の話しを聞き取れないと、「もういい!」と言われ、自分が聞こえづらいから声を大きくすると、「うるさい!」と言われ、散々な状態だったのですが、電話やSkypeなどの電話機器を使うと凄いんですよ。

相手の声を大きくしたり、自分の声を小さく聞いてもらったり、調整ができるわけです。
なので、電話でのコーチングや、コーチ養成クラスの進行などは、何とかすることができました。

とは言っても、内容が頭に入ってこないのは、あまり変わらない状態です。どこかおかしくなっちゃったのだろうか?病院に行った方が良いのだろうかと、散々悩んだ一昨日だったのですが、夢見も悪く、早く起きたので、一人でちょっと考えてみました。
でも、考えても名案は浮かばず、何も考えないような時間を毎朝の習慣のまま、してみました。

すると、その後、考えが切り替わったのか、気持ちが切り替わったのか、自分でも解りませんが、「以前と比べるから凹むだけで、これが今なら、この状態でどう学べば良いか。相手の事を真剣に聴けるのか。を考えた方が建設的だよなあ。」と、ふと閃いたのです。

多分、一時的な気はしますが、これから年齢を重ねていくと、きっと色んな部分に変化が起こってくるように思います。だったら、良い予行演習になりました。
考えているだけでも、凹んでいるだけも、何も変わらないんですよね。

とは言え、凹む時間や、悶々と考える時間があったから、ふと閃いたんだとは思いますが、動くのが一番ですね。
昨日早速、パソコンの入力は速度が落ちてないのですが、耳で聞いて、書き取る事が少し速度が落ちているように感じたので、パソコンでメモをしてみました。(練習に、TEDを聴いてみたりしながら。)
すると、理解は追いつかないけれど、メモは出来て、そのメモを見ることで、覚えられるという新たな自分の学習法が見つかりました。

どんな場面でも使えるわけではないでしょうから、レパートリーは増やしていこうと思いますが、「今の状態で何ができるのか」を考えれば良いんですよね。
今までの事に凹みすぎても、これが老いの一歩であれば、受け止めるしかないのです。

そこで、凹んで暗くなるより、その日その日を明るく過ごしたいですものね。
ふとそんな学びを体験できた数日でした。

今日も早朝から出かけて、一日お仕事です。
楽しんできます。

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