自分自身を認めることが苦手なら

先週は、同級生に依頼されて、同級生たちとの時間を過ごす事ができました。その中で、どれだけ自分が変化してきたのかに気付かされました。
特に、私って凄く近くに居る人達としか話してなかったのかもと気付かされました。
時を経て、話すことも気付かされることも多いと感じさせられました。

先週の土曜日に、同級生や恩師、小学校の登校班が同じだった幼なじみ、元同僚達の前で、講演をさせていただきました。
知り合いが居るのは、本当はやりづらいのですが、その場はやりづらさよりも、心強さの方が大きかったです。
なぜなら、声をかけてくれた同級生達も、PTA等の役をもらい、その場の運営を精一杯やっていることが伝わってきて、「みんなで創り上げる場」という雰囲気があったからだと思います。

研修後に恩師が、「内容も解りやすくて、勉強になって良かった。ありがとう。でも、変わってないな。人を思いやる温かさが伝わってきた。これはずっと変わらないな。親の教えかなあ?親にも感謝しろよ。」と仰って下さって、それだけでも、機会を与えてくれた同級生たちに感謝でした。
少しでも聞いている方々のお役に立てたのでしたら、嬉しいです。

そして、その後に、打ち上げ兼ねて、同級生達が20名位集まりました。
その場で気づいた事がありました。
それは、小中学校の時に、いかに一部の人としか話してなかったかです。

同じクラスになった事があるのに、その時に初めて話した人。
「当時は、◯◯グループ(◯◯は特徴だけれど、自分では言いづらいので◯◯に・・・)に居たから、近寄れなかった。」と、近くに居たようで、話したことのほとんどなかった人。
一緒に活動していたはずなのに、プライベートな事は全く知らなかった人。
話を聞くことはあっても、私が話すことは少なかったので、私がどんな性格なのか、全く知らなかったと伝えてくれた人。

などなど、とにかく話したことのない人たちが多い事に気付かされました。
そして、昼間の講演がコミュニケーションだったこともあり、たくさんお話しをしたり、今抱えていらっしゃる話を聞かせて下さる方がいらしたり、初めて、同級生の中の、たくさんの人達と、「友達」になれた気がしました。

まだまだ話し足りないと思うほど、あっという間に時間がすぎました。
楽しいだけでなく、自分の変化も感じられた貴重な時間となりました。

恩師も、部活動で三年間お世話になった先生でしたが、その方が仰って下さった自分の変わらない部分(自分では感じていなかった部分)にも気づくことができ、変化にも気づくことができ、こうした機会をいただけた事に感謝ばかりです。

こうして、時を経て、振り返ると、自分を認める事が苦手だった私も、自分自身の変化や成長を感じることができるんだなあと、自分自身を認める事が苦手な人達にもヒントになるだろう事も見つける事ができました。

この学びや体験をこれからも活かしていきたいと思います。

あなたは、小さい時から、どんな変化や成長をしてきましたか。
そんな変化や成長を、自分で認めてみませんか。

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