今日の普通が明日の普通ではない

仕事をしていること。健康でいること。生きていること。
これらって明日も明後日も続くつもりで居るけれど、普通に続くことではないんですよね。

だからこそ、今日をどう生きるか。今をどう活かすか。

私も父、前の職場の経営者を亡くしただけでなく、膝を痛めて、ハイヒールしか履かなくなっていた自分が、ぺちゃんこの靴を履いて仕事をするようになるとは、想像もしていませんでした。

前の職を辞めるとも思っていませんでした。

私服に気を使うようになるとも思っていませんでした。

毎日、職場に通勤するのが普通。制服で仕事をするのが普通。ビジネスパーソンとして、かかとのある靴を履くのが普通。
すべて普通と思っていた事が、選択をして変わる場合もあれば、選択の余地なく変わる場合もあるんだという事を、特にこの1年は良く考えさせられました。

そして今、また「普通」だと思っていた事が普通じゃない事にも気づきました。

だからこそ、この瞬間瞬間を精一杯楽しんで、精一杯やり抜こうという思いが強くなっています。
結構、どうでもいいことかもしれないことにも必死になってきたけれど、それも結構楽しいものです。私には「無駄はない」という言葉があるからだと思います。

私はここ7年程になりますでしょうか、ずっとコーチを2名お願いしていました。
もちろん目標が違う事についてです。
けれども、今月を最後に1名にすることにしました。

私にとって、「二人もコーチがついている」という事に依存していた気がするんです。周りからしたら普通じゃない自分が、どこか心地よかったりしたのかもしれません。
けれども、一つのテーマが一旦完結し、自分の事を本気で信じてあげられるようになった気がしました。
すると、その「二人居る」事にこだわらなくてもいいのかなと思うようになりました。
本当に必要なときに、またお願いできるから、一人にしてみようと思えるようになりました。

そう決断したものの、結構悩んでいましたが、タイミングってあるものですね。
コーチからも、「何だか完了したんじゃない?」という声を頂きました。それは私にとっては大きな承認でもあります。そのために、あっさり、悩んでいた事が嘘のように、今までの「普通」を辞めることができました。

そんな選択をした後に、「もしかしたら◯◯かも」という病気の発症の疑いを伝えられ、検査を受ける事に。
こちらは選択の余地なし。
自分の中では、大丈夫だろうと思いながらも、結構、衝撃は大きかったです。「もしも、◯◯だったら・・・」と沢山考えました。
けど、最後に行き着いたのは、「今を楽しもう!今を精一杯やり抜こう!」という変わらないスタンスでした。
しかし、「◯◯だったら・・・」と思うと、今まで続けていたけれど止めようと思うことや、しておきたいことなどが、結構出てきて、「普通」と思っている事に流されてしまっていた事にふと気付かされました。

きっと、検査結果は陰性だと思います(素人なので、ネットなどで症状調べても該当しないから・・あくまでも素人目)が、自分で選択できることが沢山あるのに、「普通」に流されて選択できてないことも、これからは意識して行動していくきっかけを頂いたように思いました。

今日の普通は、明日の普通ではない。
普通って思うから、続けちゃっているだけの事もあるかもしれません。
自分で選択していけること、まだまだあるのかもしれませんよね。

気づいた時がチャンス!
皆さんも、今を!今からを!選択していきませんか。

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