同化していく

面白いものですが、近くに居るようになると、「解っている気分」になってきます。が、現実には解っているわけではなく、自分と相手の思考の差が小さくなっていく。つまり同化していくという事なのではないでしょうか。

近くなれば近くなるほど「smilecoachさんならこうすると思った」と言われた事が何度もありますが、あたっている時もあれば、私も徐々に変化していますから、そうでない時も多々有ります。

言われ始めた頃には違うなら違うと返していましたが、最近は「そう見られているんだな」と受け止めてしまい、反論することもなかったので、それがどうも差を大きくしてしまっているのだと思います。
まさに、「喧嘩するほど仲が良い」というのは、この「同化」してしまいそうな部分をそうではないと言う事なんだろうと思います。

が、私は言わないんだなという事を改めて、実母と話していて感じました。

母は、父が亡くなってから、話す機会が増えましたが、その時に「お父さんの悪口を言われると腹が立つ、何も知らないくせに。」「娘の事を悪くいう人が居ると許せない、ちゃんと見ているわけでもないのに。」と、普段怒らない母が、家族の事になると凄く感情的になります。ただ、その場では何も言わず、笑って「そうですか。」と言っているそうですが、どうしても感情を吐き出したいのでしょうね、私に話をしてくれます。

母が私達を信じてくれていること、家族を大切にしてくれている事が解る瞬間でもあります。
が、まさに「家族=母そのもの」になっているのでしょうね。
けれど、母の場合は、家族の中だと、「それは違うんじゃない?」「私はこう思っているんだけど・・」と言います。だから、勘違いの「家族=母そのもの」ではないと思いますが、私は娘ですが、父の「黙って自分で消化する」を受け継いでいるのか、対立を避けて、聞き流してしまいます。そして、ストレスが知らないうちに溜まって、大爆発という状況が何度もあります。

となると、私は母よりも勘違いの同化をしている可能性はあるんだろうなと思うようになりました。

私の場合、「家族=私そのもの」「仕事=私そのもの」だから、その2つの私がバランスがとれず、自分自身がどうしていいか解らなくなっていく事も今でもたまにありました。
が、今回、母と話す機会が増えて、仮に「同化」するならば、対立を怖れず、自分の変化を伝えていくことも大切なのかもしれないと思いました。
また、相手も変化するわけですから、「解っているつもり」が「一人よがり」になっていないか、確認をしていくことも大切だと感じました。

これは、家族以上に役割などの明確な職場の中では、更に大切になっていく事だろうなと思うと、対話の重要さも再認識しました。

父の最期の日の、父と母の朝からの幸せな時間を聞かせてもらいながら、「解ったつもり」になっていた自分を反省もしました。
母は言いました。
「みんなに8年以上もお家で看てて、大変だったでしょ。と言われるけれど、頼りになる娘たちが居て、出歩かないお父さんが居て、最期の日もおヒゲをそってあげたら、気持ちよさそうな顔をして、ベッドで身体を拭いてあげた後に、『お父さん、幸せやねえ。私も幸せやわ。大好きだよ~。だから頑張ろうね。』と言って、おでこにチュッとしたんだよ。そしたら、嬉しそうに笑ってね~。その後、急に見つめられてね~。あっという間に眠るように亡くなった。だから、私はあの瞬間があったから、8年が大変やなかったとは思わないけど、楽しかったし、最期の瞬間で全部いい思い出になった。だから、全く大変やなかった。」と。

父と母に旅行がさせてあげたくて、結婚前に旅行をPresentしました。そのことを何度も、楽しかった思い出もあると言ってくれていましたが、それ以上に最期の瞬間が母にとって最高の思い出になっているんだなあと、聴いて初めて感じました。
父も、最期に見つめただけじゃなく、二人でちゃんと会話できていたから、父は幸せなきもちで永遠の眠りにつけたんだなと。

私はいつの間にか、昔聞いた言葉のまま、父と母を止めていたのかもしれません。けれども、この長い介護の時間も二人にとっては幸せな時間だったんだと聴けた時、ちゃんと言葉に発しないと見えないものがあるんだなと思い知らされました。

近ければ近いほど、解ったつもりになって、知らないうちに自分の考えは、相手の考えだと思い込んでいることもあるでしょうね。
あなたは、そんな近い存在の人との勘違い、見落としていませんか。
もう一度、確認してみませんか。

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