父から学んだ事

前回の投稿をした数時間後、実の父が亡くなりました。8年の自宅での介護の末、母の顔を見つめながら、眠るように息を引き取りました。
最期の瞬間には立ち会えませんでしたが、晩年の父は穏やかで、本当に存在が安心させてくれる人でした。その父が亡くなって、学ばせてもらったことが沢山ありました。
今日は、父を偲び、父から学んだ事を書きます。

父は、若い頃、本当に近所で知らない人は居ないほどのやんちゃ息子でした。けれど、野球だけは大好きで、野球だけはしっかりやっていたので、友達も多かったようです。
そんな父が、それでも悪いことばかりするので、おばあさんがお寺に修行?に行かせた時期があったそうです。

そんな事があったからか、母と結婚して、子供が出来てからの父は、急に良い父親ぶりを発揮し始めたらしいです。(友人談)
それと同時期からですが、自分たちの生活が大変なのに、人付き合いを大切にして、飲み歩き、母や私達は非常に貧しい思いをしました。おかげで、今は幸せだと感じられます。

また、そういう仲間を大切にする人だったので、頼られると断れず、本当に人のために尽くした人でした。(これも友人や親戚談)
おかげで、父の亡くなったことを知った人達が、涙を流して悲しんで下さっています。本当に父の偉大さを感じました。

私にとっては、本当に躾に厳しい父で、よく叩かれて、小さいころは怖いばかりの父でしたが、寝たきりになってからは本当に多くの方々から、父の社会との付き合い方を拝聴する度に、「これが私の父で良かった」「最高の父親だ」と思える事も多くなっていました。
お陰で、ここ数年で出会った人達にはファザコンとよばれるまでになっていました。

以前のブログにも書いた事があるのですが、松下幸之助さんが「リーダーは役割を退いた時にその人の本当の価値が見える」と仰ったそうです。
現に、松下幸之助さんは、経営を退いてからも、多くの方々が相談にいらっしゃったり、お話をされにいらしたそうです。

父も「悪ガキ」を卒業した後の行いのお陰で、多くの人達が頼りにしてくれて、多くの人達が涙してくれたんだと思うと、いつでも人は変われるんだと気付かされました。
また、「悪ガキ」のレッテルを貼られていた父を、信じてくれる人(特に母)が居た事を父はちゃんと認識していたからかわれたんだろうと思いました。
きっと、急に良い父になっても、すぐに信じてもらえるわけじゃなかったろうと思います。けれども、続けていれば、こんなに愛された存在になり得るんだなと思いました。

そして、誰かのために尽くす事は、命が絶えても、役目が終わっても、ずっとその人達の心に残っていくんだなと感じました。

今でも耳に残るのは、父が人に迷惑をかける事を嫌った言葉でした。
「里江、身体が言うことを利かなくなっちまった。情けない。みんなに迷惑かけると思うと、情けない。」
私は「お父さん、お父さんは今まで頑張ってきたんだから、親孝行させてくれる機会を作ってくれたんでしょ。飲み歩かず、お母さんと過ごすために時間与えられたんでしょ。だから、情けなくないよ。ありがとね。」と言うのが精一杯でした。

父を安心させるための必死の言葉だったけれど、この8年は、その通りの八年でしたし、友人や親戚から、父がどんなに周りの事を考えて動いてきた人か伺える機会でした。

栃木から岐阜に戻った私に、「お前はなあ、家族は解ってるから、待ってくれてる人や、頼りにしてくれている人のために尽くせばいい。充分わかってる。」と。
病気の父のために帰ったつもりが、父に励まされました。家族も私も、どんな時も父に支えられていたんです。
それが亡くなって一段と実感しています。

けれど、そんな父の娘ですから、人のためにできることをしていく。今まで以上に意識していこうと思いました。
そして、父のように、人の心に残る生き方をしたいと思いました。

「本当に、あなたの娘で良かった。ありがとう!」
 父に気持ちを伝えた年末年始。

今度は、その父を支えにしてきた母を支えながら、誰かのためにつくし続けたいと思います。

コメント

  1. 樽見清隆 より:

    この度の御不幸、心よりお悔やみ申し上げます。

    ブログ内の一片とはいえ「棺を蓋いて事定まる」の言葉通り、素晴らしいお父様であったことが伝わって参りました。

    お母様をお大事になさり、小林先生もお体ご自愛下さい。

  2. coachsmile より:

    樽見様、コメントありがとうございます。
    母が居たから、あの父だったのだろうなと、今改めて感じています。
    自慢の父の、自慢の娘であり続けられるように、精一杯頑張ります。身体も気をつけますね。ありがとうございます。

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