私達の大切にしたい心

お悔やみ事があってから、私なりに凹んだり、奮起したり、目の前の事に必死になってみたりと、一喜一憂している間に1週間も経ってしまいました。
けれども、私にとっては凄く記憶に残る事がありました。
それは、とある官公庁に研修に伺った時の張り紙です。


そこには「3つのO(オー)」という言葉がありました。

私達、職員の起点として、
「おもいやり」 をもち
かつて私達の身近にあったぬくもりのような
「おせっかい」 を心がけ
「おもてなし」 の心で相手を迎え容れる

感動してしまいました。

なぜなら、「思いやり」の気持ちはあるのに、「お節介」になってしまうことが躊躇の原因になって、結局、思いやりを形に出来ぬまま、思いやりもないように感じさせてしまうことって案外多いのではないかと思うからです。

だからこそ、「お節介位でちょうどいい」と思えたら、もっと思いやりが形にしやすいのではないかと。

少し前の事でしたが、娘が学校で、給食当番だけれど喧嘩をしてしまって、当番をやらない子が居た時に、早くしないといけないからと思って、変わりに当番をし始めたそうです。

すると、当番でない男子が、「当番じゃないのに邪魔するなよ」「エプロンもしないで何してるんだ」と言って、娘を悪者扱いしたそうです。娘としては、思いやりのつもりが、そんなふうに受け取られて悔しかったようです。その後、すぐに当番の子が戻ってきて、その子にはありがとうと言われたようですが、やはり悔しさはあり、先生にそんな事があったことを連絡帳に書いて欲しいと言って帰ってきたのです。

けれど、話をしているうちに、「連絡帳は書かなくていい。」と急にもういいと言ってましたが、それ以来、その男子の事を避けるようになってしまっています。

思いやりなのか、お節介なのか。
そのことで傷ついたり、余計な事したと思うのも、思われるのも嫌だから、形にできない事ってあるよなあと、この文を見た時に思いました。

その数日後、私も電車で席を譲った方がいいのか、お節介と思われないかと気にした場面がありました。
けれど、この文を思い出して、声をかけて席を譲りました。ありがとうも言われなかったけれど、それでも自分で、ちょっとだけ形に出来たことが嬉しかったんです。見返りを欲しいからするのではなく、気になるからする。それがお節介なら、確かにお互いに嫌な気持ちになるかもしれないけれど、この文を見てから、何だか「お節介ならお節介でもいいや」と思えるようになりました。

それが「身近にあった温もり」なのだろうなあと。

家族でも、地域でも、会社でも、こうした「思いやり」と「お節介」があったら、自然に温もりに包まれた環境が出来て、コミュニケーションも自然に増えるだろうなと思いました。

素敵な言葉だと思ったし、私達が大切にしていきたい心だと感じたので、あなたにもご紹介させてもらいます。

その官公庁の方々が作られた言葉のようです。
素敵な言葉をありがとうございます。
ちなみに「おもてなし」は、オリンピック招致プレゼンの前から貼ってあるもののようでした。
素敵な言葉に感謝。大切にしていきましょう。

コメント

  1. 森田 のり子 より:

     「3つのO」に感動しました。お嬢さんの話も学校ではよくあることで,よかれと思ってしたことが,他者から見ると出しゃばっているように見られて…。お嬢さんの悔しくてやるせない気持ちが伝わってきました。
     私もよく「あーまたやってしまった。」ということがよくあります。知らん顔ができないのです。最近は「出る杭は打たれる,でも出すぎた杭は打たれにくい。」という言葉をある講演会で聞き,自分らしさを出していこうと思えるようになってきました。とはいえ,まだまだなんですけどね。
     とてもすてきな話をありがとうございました。ほけんだよりで,「3つの0」について生徒に伝えていきたいと思います。

  2. coachsmile より:

    森田のり子様、コメントありがとうございます。
    本当に、私も共感いただけた事を嬉しく思います。

    ぜひぜひ、生徒さんにもお伝えください。
    お互いに良かれと思う事でも、どう受け取られるか解りませんし、かと言って「お節介」を格好わるいとしてしまうと、何もできなくなってしまいますものね。
    森田先生にお会いできた生徒さん達も幸せです。私も幸せです。有難うございます。

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