壁に耳あり障子に目あり

昨日(2010年6月15日)は、岐阜県瑞浪市防災センターにおいて、ケアマネさん達向けの研修がありました。実家に近いこともあり、会場まではあっという間に着きましたので、負担なく心地良く会場入りできました。
が、そこからでした・・・

研修のお声を頂いた方は以前、私が講師を務めた研修に参加して下さった方で、その時の印象で今回依頼をしてくださいました。
その方と一緒に対応してくださった担当者の方のお一人が公務員時代に何度も拝見していた方でしたが、お話した面識はそんなにないので、初めて会話をさせていただきました。
そんな知り合いもいらっしゃる中での研修は安心した空間の中で始まりました。
そして、最後まで私にとってはあっという間の時間でした。皆さんがどう思われているかも聞かぬまま「あっという間でしたね」と口にしてしまうほどでした。

終了し、会場を後にするときに気付いてしまいました。
一番後ろで手を振っている男性に!
あれ?元同僚だ!
正直びっくりしました。というよりも、研修は終わったと言うのに急に緊張をしてきました。今まで、前に立って話す私を想像した人は居なかったでしょう。でも「見られてしまった。恥ずかしい」という思いでした。
きっと私にとっては、昔の友は昔のままのイメージで見ていて欲しかったのかもしれませんね。なんだか障子から覗かれている気分でした。

そして、自宅に戻ると、母が言いました。
今日は瑞浪市で研修だったんだね。何で知っているの?どこで研修をするなんて言っていないのに。
びっくりしました。
すると、実父がお世話になっている特養施設のケアマネさんがいらっしゃったようなんです。で私がお家に帰り着くまでの間に母に電話をしていたようです。
「今日、娘さんの研修を受けましたよ」って。
これまたビックリでした。
もしかしたら、いらっしゃるかな?と思っていましたし、見覚えのある方もいらっしゃったので、そうかなあとも思っていましたが、確信がなかったので気にしないでいました。でもやっぱり・・・・。
これまた母に連絡が届いていたときに「壁に耳あり」だなと思いました。

しかし、毎回真剣に取り組んでいる事、そのままを伝えている事で、聞かれたら困る内容ではないのですが、終わってから気付いたときには、前もって分かっているときとは全く違いました。これは何なんでしょうね。ただ驚いただけなのかもしれませんが、改めて「いつも正直にそのままの私で居ること」の大切さを感じました。

人の信用は、どこでも言っていることややっていることが変わらないことかもしれません。場面に応じて服装話し方は変わったりしても、言動が全く違っていては信用できなくなってしまいます。
「壁に耳あり、障子に目あり」という言葉は、少し自分への戒めにもなるかなと思いました。

リーダーも親も、結構そうした一瞬を部下や子供に見られていたりしますものね。いつも一緒って難しくみえるけれど、言動だけには一貫性は持ちたいものですね。

あなたは周囲の人の前でどんな自分を見せていますか。
誰も知らない人達の中だとどんな自分を見せていますか。
そこにどんな一貫性がありますか。

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