言葉に現れる捉え方の癖

言われてみないと解らないものです。私の物事の捉え方が、使う言葉から見えてくるんですよね。
今日は、自分のコーチとのコーチングでした。その中で、考えさせられることがあったので、ここでシェアします。

それは、使う言葉で見えてくる自分の物事の捉え方の癖でした。
メンターコーチングだったので、セミナーなどの進行に関する台本の内容についてでした。
すると、私の物事の捉え方が現れている文がいくつかあったのです。

「~する」と「~できるようになる」
私は後者を良く使っていたのですが、この2つにどんな差があるでしょうか。

答えは、
「~する」は行動
「~できるようになる」は能力
つまり、「~する」を経て「~できるようになる」事はあるけれど、いきなり「~できるようになる」だと、実はハードルが高いのです。

言われて初めて気づいた自分の言葉。きっと、自分自身が「行動」に目を向けているつもりが、どこかで「その人の持っている能力か」だったり、「私のこの行動は能力なのかたまたまなのか」などと、能力レベルを基準に捉える癖があるのでしょう。

台本をいつも書いているのですが、今まで気づかなくて、周りくどい言い回しだなと思って「~する」に変えてみたら、参加者の反応が良かったという話しをメンターにしたら、「周りくどいとかではなく、能力にスポットがあたっていたんですものね。」との一言。

気づいていなかったあ。
たった少しのフレーズなのに、「ちょっと動いてみよう」というのと「能力身につけよう」では、全く捉え方も変わってしまいますものね。
自分の使っている言葉には、きっともっと多くの捉え方の癖が隠れているのだろうと思います。けど、自分では見えないものですね。今まで良いと思ってしてきていましたから。

相手のために、どの場面でこの言葉を使い分けていくのか。改めて得た視点でした。

動き出そうとしている人には、軽くなるように「~してみよう」って言えるように気をつけてみたいと思います。

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