小さな事が与える影響力は大きい

あなたは誰かとコミュニケーションを取っていて、淋しいな、楽しくないな、なぜか一人ぼっちの気分などと感じた事はありませんか。私はたまにあります。

それは、ほんの小さな事なんですよね。なんだと思いますか?

実は「返事」です。
その名の通り、「返し」です。

聴いているよと言うことを示す、相槌や頷きもそうですし、挨拶をしたら挨拶を返す事もそう。何かを言われたら「ハイ」と言う事もありますよね。これらってみんな「返す事=返事」ではないでしょうか。

この所、家族が「おはよう」「おやすみ」「ご飯だよ」と言っても、返事がありません。
きっと何か嫌な思いをさせているのだろうと思うと、確かに心当たりがあります。「ああ、あの事がきっかけだろうな。」とは解ります。けれど、今は今。

我が家のルールとして「どんな事があっても、挨拶は交わす」というルールがあります。これは返事の大切さを感じているからこそ作ったのですが、その事を守れないほどの衝撃だったのだろうか。というと、実はきっかけになった事は些細な事であり、もう終わった話なのです。
きっと感情の消化をしているのだろうと放っておきましたが、返事をしないことで広がる影響があるのです。雰囲気が暗い・・・。

職場でもありました。
私の職場では、最初の頃は挨拶に返事をする方が少なく、何となく仕事だけが淡々と進んでいる印象があり、お客様をお迎えするような雰囲気を感じられなかったのです。そこで、返事を徹底してすることと、挨拶を自らしていくことを決めて、始めていると、自然に笑顔が増えてきて、明るい職場に変わっていく事もありましたし、何よりも仕事の話の中で「指摘」をしあえるようになってきたのです。きっと、何を言っても安全であると感じられるようになったのではないかと考えられます。

「返事」一つと考えると、小さな事かもしれませんが、そのことが与える影響は、公私共に大きな影響をもたらすのではないかと思います。

まあ、我が家に関しては、感情の消化に時間がかかるのは毎度なので、続けていれば戻る事は解っているのですが、それにしても言葉の影響力って大きいなと改めて感じました。

雰囲気は、五感から通じるものです。
が、返事をしないということは、五感で発するものとしては「無視」に値します。
マザー・テレサの有名な言葉で「愛情の反対語は、無視することです」というものがありました。無視は、孤独に追い込み、その人の存在意義さえ否定してしまうほどの力があると言われます。
返事がないのは、まさに「無視」に値するとすると、相手に対する衝撃は大きく、その衝撃が五感として、その周囲にも伝播していくことで、場全体の雰囲気を悪くさせてしまう可能性があるということです。

「返事」をした時には気づきづらいですが、あなたがふとした時にする「返事」が、相手を、その場にいる人達の空間を、楽しく有意義にさせているのだと思うと凄くないですか。

これから出張に出てしまうので、朝の挨拶はちゃんとしたかったなあ。些細な事なのに、こうして心に残るのは私だけなのでしょうか。

たった一言の大きさ。特に相手が投げてくれたものへの「返し」というものは、重要なのではないでしょうか。

コメント

タイトルとURLをコピーしました