事実と解釈を分ける

今日はメンターコーチとのコーチングでした。その中で、私の思い込みが発覚。非常に難しいと思っていましたが、もっとシンプルに考えてみたいなと思いました。

それは「事実と解釈を分ける」事は大切だなと思うのですが、それが私の興味で聴いてしまっているのか、相手のために聴いているのかを迷って、結局聞かないで置いている事ってあるなと思いました。が、その部分を明確に聴いていく事は大切な事だと思いました。

(クライアント役:ク  コーチ役:コ=私  私の心の声:心)
ク「何だか、周りの人たちに迷惑かけちゃってて、上手くいってないんです。何とか上手く回したいんですよね」
心(迷惑って誰に?何が迷惑なの?しかも上手くって何だろう?)
コ「そうなんですね。上手く回るようになったら、どうなっていくんですか」
ク「迷惑かけず、一点に向って進んでいけるでしょうね。迷いがないと言うか・・・」
心(相当迷惑かけている事を気にしているんだなあ。でもそれ本当に迷惑なの?)
・・・その後、続く。

冒頭少しだけでも、心の声があるものの、そのことを直接聴いてみても、相手はわかっている事だろうしなと思うと、なかなか聞けなかった。なので、違うことを聞こうと思ってしまった。きっとメンターに対してなので、やたら私自身が「上手くやりたい」「凄いと言って貰いたい」という気持ちが先にたってしまったのだろうと自分自身反省もしましたし、ここでの「解釈」を解釈のまま、受け流すことになってしまいました。

でも、事実はどうなのかを振り返ってもらうために、「迷惑かけたってどんな事があったんですか」と聞いたら、リアルに話をして下さって、「事実」はどうなのかが見えてきたのではないかと思いました。

そして、事実を改めてどう捉えるのかはクライアントさん次第。

久々に「うーん、イケてないセッションだなあ」と感じていた事が、ここに浮き彫りになった気がしました。
メンターからも、「なあんだ。そう思っていたなら(心の声があるならば)、そのまま聴いてくれたら、また展開は違っていたのかも」と言われました。

先の事は許可がないのでお話しできませんが、この先で、一応、クライアント役であるメンターの整理したい事の一つは整理されたのだけれど、この冒頭の部分のやりとりがもったいなかったなと感じました。

自分の中で、更に質の良いコーチングをしていきたいと思っていたのに、その思いが強いと全く相手のためのコーチングに成らないことも体感しました。
あまりに「相手のために私が何とかしよう」になってしまった失敗談です。

でも、こうした事が、もしかしたら日常でも「何とかこの人のために」と思いすぎるスイッチ入ってしまった時には起こっているのかもしれません。
この事をメンターの前で実践してみた事で、自分の事を客観的に見ることも出来ましたし、まだまだだなとも思いました。そして、何よりも、「事実を聴くことが、自分が知りたがっているだけじゃないか」と思って、躊躇して聴けてなかった自分の陥りやすい思い込みに気づくことができました。

解釈は、事実を聴くだけでも、本人の中で客観的に捉えられる時間となる。それが結果的に相手に気づきを促す事につながっていくんだと言うことを、改めて確認できました。

やれている時、まだまだ格好付けようとしてしまって出来ない時がある私だからこそ、こうしてメンターのコーチングを受けて、自分を振り返る時間を持っています。この事自体が自分のコーチ力を高めていく事に繋がっているとしたら、「上手くやろう」って今日みたいに思ってしまう時がある自分に気づいた事は大きかったかもしれません。

そして、「上手くやろう」とした時ほど、相手のために聴けてないんだという事を、講座でいっているわりには、自分で出来てない事もあるんだと反省したいと思います。
ああ、一生修行です。情けない自分も受け入れながら、次のステップへ進みたいと思います。

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