「本気」になる

先日の事です。「smilecoachさんは、いつも全力投球だから疲れるでしょう。お家にいらっしゃる時位、ゆっくり休めばいいでしょう。」と、お電話を頂いた方に心配そうに言われました。確かに、お家では休んでいます。時に頑張りすぎて、ダウンすることもあります。ただ元気さえあれば、頑張りたくなっちゃうんです。「なぜそこまでやるんですか」といわれる事も以前から多々ありました。
なぜなんだろう?
ふと「そう言ってくれている人達はどんな時に本気を出しているのだろう」と聴いてみたくなりました。

色々な本気モードがあるんだなと初めて知った気がしました。
「そりゃ、時間で区切って、仕事の時間は仕事。遊びの時間は遊び。あれ?本気は時間を区切っていつもかもね。」
「仕事の時だけでしょ。時間というよりも、仕事の区切りってやつかな。たまに大勢でやる時はちょっとだけサボらせてもらうよ。」
「責任あることには本気になるでしょ!当たり前です。」
「本気?考えた事もない。きっといつも8割の力の方が続くと思っているから、8割をずっと続けている感じ。だからsmilecoachさんのように寝こむ事ってのはないですよ。」
などなど。
聴いてみると、本当に沢山の本気の出し時?があるんだなと思えました。

その上で、自分は何でいつも本気でぶつかろうとするのか。それも何だか見えてきた気がしました。
それは、「普段、本気を出せなかったら、どれが本気や全力を出し切ったという事なのか判らなくなってしまうのが怖い」という怖れもあるでしょうし、「いつも本気でやっていると、自然とそれが普通になり、ゆとりができ、全力というものがレベルアップしていく。つまり常に挑戦し続ける事に繋がるんじゃないか」という今までの体験からの思い込みもあるでしょう。
そして、何よりも「この瞬間は人生に一度しかない」という私自身の信念に大きく左右されているように感じました。
全力を出し切る意味で、私は「本気」と伝っていたのだと感じました。

軽々しく使っているのだけれど、本気とは「100%全力」という意味ではない気がしました。
他の皆さんのを聴いていて、「自分の素直な気持ち」という事が根底にあるかどうかが大切なんだろうと感じました。
「遊びも本気」と仰って下さった方のを聴いて、全力で遊ぶってどういう事なんだろうって思っていた私が居たのですが、遊ぶ時には存分に楽しむという事なんだと受け取れた時に、自分の「本気」という言葉の受け止め方に偏りがあることに気づけたのでした。

そう考えて、周りを見渡してみると、「本気」って、「~したい」という欲求だったり、「~だから」と意味があったりする時に使うものなのだなと見えてくるし、自分と向き合う時間を作らなくても、きっと無意識に気づいて本気になっていらっしゃるんだろうなと言う方や、向き合ってみるともっと本気になれるんだろうなと思える方々がいらっしゃって、自分の偏った物の見方で見えなかった物が見えて来ました。

私も、そう考えてみると、真剣になれるのは、「~したい」という思いが強いからなんだなと感じられました。そして、「本気」だからこそ、信念に基いて全力でやってみたくなっていたんだな、と感じる事ができました。

まあ、ここ数日の高熱は、子供に移されてしまった風邪のせいではありましたが、「本気で休む」数日だったのかもしれません。「早く回復したい!だから、しっかり寝よう!」それだけ。全力とは言えないけれど、私の中で回復のために「本気」だったんだと思います。

普段の仕事も、遊びも、あなたが本当に欲しているものなのでしょうか。或いは何かのために必要だと感じているものなのでしょうか。
まずは自分の「本当の気持ち」と会話してみませんか。

仮に、気持ちに背いていると感じたとしても、気持ちに背いてでもやるのは何故でしょうか。そこにもいくつかの「本当の見えなかった気持ち」が隠れているのかもしれませんよね。

まだ熱っぽい私ですが、私は誰かとコミュニケーションを取るのが大好きなので、そのことにはついつい真剣になってしまいます。今日もその気持ちが抑えきれず、ブログも投稿してしまいましたが、今日はこれからまた「回復」のために、身体を休めようと思います。

解ったつもりでも、まだまだ周りの人達から教わる事はいっぱいです。一生、続いていくんだろうな、楽しいなあ。つい真剣になっちゃうなあ。
きっとこれが私の「本気」なのかなあ。

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