今のチームで感じる事は、次のチームでも感じる

「あの時の私には理解できなかったけど、今なら解る」という事ってあなたにもありませんか。
私は、前職の工場長が話していた「今の会社で感じている事は次の会社でも感じると思うよ」という言葉に、「この人何言ってるんだろう」と思っていましたが、数年前にやっとこの言葉の意味を理解できたのです。


工場長に言われる頃の私は、同僚と共に、「この会社はこのままじゃ駄目だ」とか「なんで●●くらい考えてくれないのか」と愚痴を話したりしていました。けれども、工場長は「そうなんだね」と言うばかりで取り合ってもくれません。

ある時、業を煮やした同僚女性のAさんが、「工場長は私達がこれだけ色々問題視している事を一つも取り合わず、工場長としての仕事をしてないじゃない!もっと工場長らしく、部下の言葉にも耳を傾けてくれないと、私達が辞めていくよ。」と言葉はキツイけれど、笑いながら伝えました。

すると工場長は言いました。
「うん。でもさ、みんなの言っているのは聞いてるよ。でも、もし辞めて、違う会社に言ったとしても、みんなはきっと同じような事を言うと思うよ。」
私は意味も判らないので、Aさんへの回答として変だと思って、「工場長は、その後私達が感じている事の事実を確認したのですか。確認したならしたで、見解を聴かせてくれてもいいんじゃないですか。まだ確認してないなら、確認位してもいいと思います。」と生意気な事を言いました。

工場長は「そだね。確認はしてみなくちゃね」と言ったっきりで、その後報告を下さる事はありませんでした。そのうちに、会社の体制変革で、工場長ではなくなってしまい、一緒の場所で働く事がなくなったために、あの言葉の意味が判らぬままでした。

しかし、人というのは脳科学で実証されたらしいですが、中途半端にしていること、不明確な事、困難な事などがあると、ずっと記憶に残っているそうです。私も例に違わず、あの言葉の意味をずっと考えていました。

そんな時に、コーチングと出会い、やっと解りました。
自分の捉え方が変わらない限り、次の会社に言っても同じように見えてしまうという事だったんだなと。
もっと言葉を汚く言えば、文句や愚痴を言う人は、次の会社に言っても、文句や愚痴を言える部分を探してでも言うんだなということです。
つまり、その時だと、欠点や穴を探して、そこを指摘する事が得意なだけで、それをどうしようと思わなかったら、次の会社でも同じように得意な所だけを発揮して終わりにしてしまうということです。
まさに、昨日のブログに書いたヴィクティム状態のままなのですものね。

昔、教えてもらった「関所の門番」の話しもそのままです。
A村からB村に渡る人が門番に尋ねました。「B村はどんな村ですか。」
門番は「A村はどんな村でしたか。」と聞き返す。「住みやすい良い村でした。」と村人が応える。
門番は「そうですか。B村もそんな村ですよ。」と答えた。
B村からA村に渡る人が門番に尋ねました。「A村はどんな村ですか。」
門番は「B村はどんな村でしたか」と聞き返す。「酷い村だった。もうこんな村には住みたくないね。」と応える。
門番は「そうですか。A村もそんな村だと思いますよ」と答えた。
門番は、聞かれるたびに同じ事を聞き返し、「そんな村ですよ」と応えている話しです。

まさに工場長が言っていた事と同じだと思いました。

自分が変わらずに、環境を変えてみても、捉え方が変わらないと、感じることも同じになってしまうかもしれません。
ただ、環境を変える事で変えられるものがあるとしたら、その前に「やれるだけやった。これ以上は打つ手はない」と思えた時なのかなと私は勝手に想像しています。
やるだけ自分がやってみたのか。自分ができる精一杯の事をその不満と思うことに対してやってみたのか、それが大切なんだろうなと思います。

私は、職場を通して、本当に多くの事を学んだし、変化させてきたから、組織とかチームとか言われる個の集まりが好きになれたんだと今は思います。きっと私の捉え方が、経験を通じて変化したためなんだろうと思います。

今の私は、やり切っているのだろうか。まだ妥協していることはある気がします。逃げている事が有る気がします。
それが何かも昨日見えた気がします。まだ気がするだけで曖昧なので、明確にして、やりきれたと思って、次のステップに踏み出したいと思います。

あなたは、今のチームにどんな事を感じていますか。

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