ニュートラルに人を見るって難しい

「ニュートラルな状態」で人に接するという言葉を、初めてコーチングを学んだ時に知りました。私なりの解釈としては、中立的というよりも、多方面からの視点を持ち続けられる状態、つまり興味を持ち続ける事なんだろうと思います。
これが、思った以上に難しいと思う事がありました。

先日、とあるリーダーの方Aさんとお話をさせていただきました。Aさんの部下Bさんが、能力も低く、このBさんをどう成長させたらいいのか困っている様子でした。

Aさんは、とある企業のリーダーを3ヶ月されています。その中でBさんの能力が低いけれども、口だけ達者である状態に嫌気がさしていました。

ある時、AさんからBさんに仕事を依頼しました。
ところが、Bさんは依頼してない部分に対して目を付けてくれたものの、依頼した主旨にそった部分は全くやれていなかったというのです。

けれども依頼した部分には問題がなかったために、違う部分が加わったのかもしれないし、本当に能力がなくて出来なかったのだろうか?他に手を出せない理由はなかったのだろうか?

沢山疑問が湧いて来ました。
その疑問をAさんに尋ねると、「きっと●●ですよ」「恐らく××ですよ」とお話をされます。
挙げ句の果てに、「他の人の言っていた通り、使えない人である」「私も長年、人のリーダーをしてきたから、一目見れば、出来る人かできない人かは判る」とおっしゃいました。

多分、私がAさんに対して、「判るわあ」と伝えて欲しかったのかもしれません。けれども実際には私が相手はどう思っているのかを聞いたものだから、抵抗されていたのかもしれません。私自身も、本当はどうなんだろう?というAさんを通してみるBさんに興味を持ちすぎてしまったのかもしれません。

Aさんに対して、ニュートラルだったのかどうかは疑問です。

そして、お気づきの方もいらっしゃるでしょうが、そのAさんもBさんに対して、ニュートラルであっただろうか。
実際のBさんに興味を示せていたのだろうか。

そんな何気ないお話を通して、Aさんは、私自身がバイアスをかけてBさんを見てしまっていたのかもしれません。
興味を持ち続けるというのは、自分の偏った見方以外の見方も出来る事であるのだろうけれど、これが結構大変なんだなと、私自身のAさんへの接し方も含めて感じました。

ただ、難しいからしないのではなく、難しいからこそ、何度も挑戦していく事、何度も諦めず、接し続ける事も大切なんだろうと思いました。

これはコーチングの場面ではなかったけれども、もしもコーチングの時でも起こってしまうことかもしれません。気をつけて接していくことで、相手と、相手の関わっている人達の可能性を広げていけたらいいなと改めて思いました。

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