頼ってみてもいいかも

頼るって聞くと、「依存」「甘え」などと捉える人もいらっしゃるかもしれません。けれど、精神的に頼れる場所があるって、それだけで心強いもので、自分の能力を引き上げてくれているのかもと思うことがありました。

あまり夢を見ることが多いわけではないのですが、どうやら夢を見たらしいです。というよりも、神社にお参りしている姿を思い出しただけですけれどね。

小さい頃から年に2回は必ず行く神社があります。近くの神社ではありますが、小さい頃には何とも思わなかったのですが、結婚をして、遠くに行く時に、「神頼み」とばかりに健康で過ごせるようにお守りを買いました。
その後、大きな病気をすることもなく、年末年始に帰ると、お守りをお返しし、また新しいものを預かると言う事をずっと続けていると、どんどんお守りに愛着が湧いてくるんですよね。

就職をする際の面接でも、「お守りがついているから大丈夫」と、平静を保てて普段通り話せました。合格!
初めて人前で話すことが仕事になった時、随分準備したものの緊張していましたが、お守りがあるから大丈夫!と深呼吸をして、何とか乗り越えました。
病気をした時も、守ってくれたから、この程度で済んだと思えました。

お守りの効果があるかどうかではなく、「頑張っていた事を見ててくれたはず!」と自分の中で口にすると、緊張がなくなるわけではないのですが、「頑張ってきたから大丈夫」と自分を認めてあげられる言葉にすんなり変えてあげられました。ポジティブに考えられる自分が居ました。

「自分の事を認めてあげる事が大切」という事を学んで、頭では理解していてもなかなかすんなり受け止めて、私なら大丈夫と思えない時に、「その時々をずっと共にしているこのお守りは見てくれていたんだから」と思うと、すんなり自分を認めてあげられる気がしたのです。

私の場合は最初はお守りでした。今でも大切にしていますが、今はコーチという存在が居てくれる事が「私なら大丈夫」に繋がっています。誰かに依存するというのではなく、その人や物を介して、自分を認めてあげられるようになるのであれば、人や物に頼ってもいいんじゃないかなと思いました。

昨日の事です。一通のメールが届きました。
「小林さんにお願いです。◯◯をやってくれませんか。
 小林さんには初めての事だと思いますが、××さん(私のメンターのお一人)が
 『小林さんなら大丈夫』と太鼓判を押していらっしゃいますので、私もその
 言葉を信じてお願いしています。いかがでしょうか。」
という内容でした。

一瞬の躊躇いはあったのですが、××さんが大丈夫と仰って下さるなら、
きっと大丈夫だろうと思えました。しかもメールを下さった方も××さんを
信じていらっしゃるのだから、私にメール下さったのも、この方にとっての
チャレンジした行動なのだろうと感じました。

メール下さった方と共に、××さんの後押しもあるし、やってみようと思え、
すぐにお請けするお話を返しました。

普段の私を見てくれている人が「大丈夫」と言ってくれているのであれば、
大丈夫。その人を介して、自分を信じる事に繋がっていく気がしました。

頼るって、私自身が「依存的」に捉えていたのかもしれません。
けれども、自分がお守りやコーチという存在を持つことで、自分自身を信じ、
認められるようになったことで、「頼る」って「チャレンジ」のためにある言葉
だったのかも。と思えるようにもなりました。

そんな時にたまたま以下の本をさらっと見たからかもしれません。

周りの方が自分を認めてくれていて、「私はそんなに大した事ありません」
と卑下するけれど、周りの人はそう見てくれている。
だったら、それを受け止めて、そういう自分にこれからなればいいんだって
思ってみました。

相手が認めてくれる言葉に、自分自身が頼ってみる。
発想の転換でしたが、きっとうまくいくと今は思えます。

もちろん甘えや依存の「頼る」という事もあるかもしれません。
けれども、普段の自分を知る人や物の存在自体を信じてみる事自体も
「頼る」だとしたら、後者の「頼る」はどんどんしていきたいなと思いました。

きっと昨日のお参りしている夢は、そんな事を教えてくれたのかなと
思い、書き記しておきたくなりました。

お守り、メンターだけでなく、本当は周りの人達が支えてくれているのですから、
そのこと自体、頼っていて、普段の私を見てくれているって事なのでしょうね。
ありがとうございます。

私も、周りの人達をいっぱい見て、いっぱい「観てるよ。あなたなら大丈夫だよ。」
というメッセージを発信していけるようになりたいなと改めて感じました。

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