定義自体が基準になる

良くも悪くも定義があると、その定義が基準になるのだなと感じました。

私がいろんなことを学ぶ中で、「あっ、私のは違うんだ。基準は別の所にあるんだ」と思うと、その基準に合わせようとしてしまいます。

組織の中であれば、これが統一化に繋がり、きっと機能するのですが、別の基準ができることで、今までを否定し、新しいものが良いと全部その方向で考えてしまう事が、怖いなと感じる事があります。

人もまた同じです。
「あの人は駄目」という駄目の基準を作ると、その人に似た人達を、違う人間なのに「駄目」として扱ってしまうことも人事の中で、みかけたこともありました。

今回の定義に関しては、「●●とは、巷では色々言われているけれども、××というものである。勘違いされている方が多いのでその点をしっかり抑えておいて欲しい」という定義付けから始まる本と出会いました。

私自身、「そうだったんだあ」と思いましたが、「待てよ。それはこの人が定義しているものであって、現実のチームの中では、この定義だけでは言い表せない事も沢山おきている。この定義は一つの考え方なんだよな。」と思い直しました。
思わず「危ない、危ない。ひっかかる所だった」と呟いてしまった私が居ました。

読み進めると、実際に納得できたり、この定義があれば、ぶれることもないなと参考になる部分も沢山ありますし、実行しようと思った事も沢山ありました。
しかし、定義自体が「これが絶対」と感じてしまうと、また受け取り方も、今までやってきたことも、違うものに見えてしまうのです。

今回、新しい定義を手に入れた事は、私の中で大きかったですし、今日からの行動を変えるきっかけになりそうです。
しかし、その定義に振り回されすぎると、合っているか間違っているかになってしまいます。そうではなく、自分の視点を広げるために使いたいと感じました。

そして、組織としては、この定義というものが有ることで有意義になる事があるので、定義が基準に成ること自体を知って、その時々において、使い分けていきたいと私は思います。

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