普通の人に戻った時にわかる

松下幸之助さんがおっしゃったのか、ジェームス・スキナーさんがおっしゃったのか、定かではないのですが、ふと思い出した事があります。それは、リーダーが真のリーダーであるかが問われる時です。

リーダーだったり、その人自身が問われる時っていつなのか。
松下幸之助さんなのか、ジェームス・スキナーさんが松下さんを例に話されたのか、定かではないのですが、こういう話を見ました。
「リーダーは、その役職を離れた時に、その後に人が離れているのか、それでもまだ教えを請いたり、近くに居たいと思ってもらえるのか。そこで真のリーダーだったのか、役職としてのリーダーだったのかが明らかになる。」

その時はそうだよなと思いましたが、(後厄の歳であるのも関係してか)家族がICUに入ってしまうような事が起こりました。
一昨日夜に、突如意識を失い、救急車で運ばれ、最初意識のある間には「たすけて~、助けて~」と叫びまくり、聴いていてもどうすることもできないもどかしさだけがありました。その後、意識がなくなり、全くの無反応。ただ呼吸器のおかげで呼吸が続いているだけの状態。

近くに居るだけしかできないので、仕事はできる限り、理由を話して、何とか対応いただける部分での対応をお願いしました。
皆さんにはご迷惑をかけていながらも、「何とかする」という対応力に感動しながらも、家族の身体もこうして頑張っているのであろうと、涙しか出ませんでした。

そんな時に、対応して下さった皆さんの周囲にいらっしゃる方からもお声かけをいただきました。
その時に思いました。
「私のリーダーとしての真価が問われるのではなく、周りの人達と今まで育んできた関係性や、相手のリーダーシップが見えるのではないか」と。

自分では失礼な事にそんなに親しくしていたつもりもなかった方からも、「大丈夫だよ」と連絡をもらい、非常に勇気づけてもらいました。何もできない私が励ましを受けてもと思いながらも、こうした時に関係性というものが見えるとしたら、私は遠慮して連絡しなかった仲の良い人達に淋しい思いをさせていたのかもしれないとも感じました。

体験してみないとわからないことばかりですが、それでも、もらった言葉の意味が解った瞬間でした。
リーダーとしての真価が問われるだけではなく、私がどのような人との関わりをしてきたのかが問われる時なんだと。

リーダーとして業績を見つめているのか、その業績を支えている仲間をも見つめているのか。
リーダーでなかったとしても、ご近所さんでも、家族でも、どのような関わりをしているのかが問われるのでしょうね。

私自身の関わりはどうだったのだろうか。私自身は周りの人達のご家族まで本気で大切にしてきたのだろうか。
自分を見つめなおす機会ももらった気がします。

今日の午前、家族の意識が戻った時、ふとそんな事を思いました。
あなたは、周りの人達とどんな関わり方をされていますか。

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