最近の悩みは、夢が可能性を狭めていないか

最近、ふと思ったことがあります。それは、子供たちに「大きくなったら何になりたい?」と聞いてみても、今決めろって言わなくていいということです。

当たり前に聞こえるかもしれませんが、「大きくなったら何になりたい?」と聞くと、その時は応えられない人達も居ます。けれども、大人たちや、働いている人達を見て、考えてくれること自体が、目標を持つことに繋がっていくのではないかと感じるから、その時に応えること自体に大きな意味は無いと思う。

その上で、もしも決めていけたら、その目標に向かって着実に進む事ができて、努力もゴールに近づく一歩に感じて楽しいだろうなと思います。
けれども、決めなくて右往左往しているように見えることも、とにかくやって見ることができたら、自分の才能を開花させることに繋がっていくのかもしれません。

そう思うと、目標がまだない子供たちには、目標が必ずしも大切なわけじゃなく、どんな仕事があるのか、どんな事で何のために働いているのかって観察する目を持つこと自体に意味があるのだろうなあと、感じました。

とは言え、少しだけやってみて、「辛いから違う」「思っていた楽しさはない」と、まだ楽しさを感じられない時期に感じた時に、目標や出来るようになったイメージがないと、その経験だけが感覚となって残ってしまいます。なので、やって見ることの先を想像してもらうのは必要なのかもしれません。

自分の子供、そして就職支援で関わっている新卒の方々、3年未満で「合わない」と次の職を求める人達などと関わる機会が増えて、目標のあり方や、どの時点でどんな言葉をかけていくのかを凄く考えさせられます。

問いかけが違えば、その後の受け取り方さえ違ってしまうとしたら、どんな問いかけをするのか。いつするのか。
最終的には本人の責任だとしても、問いかける側も、相手の可能性を狭めてしまう結果になってしまわないように、アドバイスするのと同じ位、気を使わないといけないのではないかと考えてしまいます。

今回は、たまたま将来の夢や目標に関してですが、これはリーダーとしても同じ事が言えるのだろうと思います。
部下の成長を見守る過程で、楽しいことだと感じて仕事をしている人の方が少ないように感じます。けれども、その先に相手が何を望んでいるのか、今、何を糧に取り組んでいるのかを知ろうとし、その成長を見守ってあげる事は大切なことのように感じます。

少しでも多くの事をできるようになりたいのか、今の事を極めたいのか。リーダーとしてはどうなってほしいのか。お互いの目標も共有した上で関わらないと、単に一人の人間マシーンを作るだけで、その人の夢や可能性、成長に関わっているとはいえなくなってしまうのではないか。

子供、青年、部下、そして仲間、上司、周囲の人達に、いったい自分がどう関わるのか。
小さな小さな関わりかもしれないし、大した影響を与えるものではないかもしれないけれど、ちょっとした事が相手にどんな影響を与えるのかは解らない。
ただ、可能性を狭めてしまう関わりだけはしたくないなと私は思っているんだなと、自分自身の思いに気づきました。

子供の成長に関わり、プリキュアになりたかった娘が、体育の先生に、次はペットショップの店員に。
どんどん夢は変わるけれど、今興味を持てる事を大切にしているのは伝わってきます。その夢をまっすぐ応援するのではなく、まずは、なんでそうなりたいの?って娘には聴いてみるようにしています。

自分の場合は小学3年生の時期には小学校の先生になりたいと、ブレない夢になっていたけれど、今のような学校や先生達、子供たちとの関わりがあると知っていたら、もしかしたら周囲の大人たちをもっと興味を持って観察できていたかも。

まっすぐだったからこそ、関わり方は違ったけれど、33歳の時に小学生の前で話させてもらう機会をもらいました。それ以来、関われる場所も人達も見いだせました。目標があったからこそ出来たこと、目標がピンポイントだったから戸惑ったこと、沢山経験をしてきました。

その経験からも、周りにかける問いを考えていきたいと思います。
あなたは、周りのどんな「問い」を投げていますか。

コメント

タイトルとURLをコピーしました