不惑の年までに何をするのだろうか

孔子の言葉をお弟子さん達がまとめたものを論語といいますが、その論語の中でも有名なものとして以下のものがあります。 「子曰、吾十有五而志乎學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而従心所欲、不踰矩」。孔子ご自身の生きてきた歩みを言葉にしたものを目安にお弟子さんが記したのでしょう。
昨日、その不惑の年までに何ができるのでしょうか。

昨日は不惑の年までしか会員でいられない日本青年会議所の中の西尾幡豆青年会議所様に研修をさせていただきました。その時に、ふと不惑の年までに何をするのだろう?と西尾幡豆青年会議所様はじめ、今まで関わった同団体のいろんな地域の方々を思い浮かべながら考えてしまいました。

特に昨日の研修で感じたのは、設営をされる方々の対応の真摯さでした。
もう半年以上前から、この講師でいいのか?という選考も踏まえ私の公開セミナーに片道2時間近くをかけて、何度も何度も通ってくださいました。
その真摯さに胸を打たれ、設営される方々向けにプレセミナーも開催させていただきました。その上での昨日だったわけですが、お顔を何度も拝見している安心感からご無礼も多々あったと思います。しかし、いやな顔を一つもされず対応をして下さいました。
既にこの設営までの段階で、対応や設営、審議を通してくる場、など体験を通して学びあっていらっしゃるのだなと感じました。座学だけではなく、その事を教えていく先輩達がいらっしゃるからこそ「経験から学ぶ」ことをされているのだと感じました。人は経験から学んだことは忘れにくいといいます。40にして惑わないための学習がその時既にされているのでしょう。

次に研修前に行われたリーダーシップ開発のためのスピーチです。各地域様々ですが、昨日の西尾幡豆青年会議所様では、「朝礼など社内や人前で堂々と話せるように」と新人さんが先輩会員さんの前でスピーチをされていました。そして先輩方はその方のスピーチに対し、メッセージやフィードバックを送ってあげるという仕組みを作って行っていらっしゃいました。
これもリーダーやリーダー候補が多く集うこの会ならではのトレーニングですから、非常に大きな体験になりますし、いただけるフィードバックやメッセージは貴重な宝になることでしょう。これもまた会を卒業されるまでに何度も会の前で話す場を持ち、体験し、徐々に経験を通して、自信に繋がっていくものになるのでしょうね。

そして、本研修が始まったとき。
皆さんはすごく真剣に研修と向かい合ってくださいました。平岡理事長が仰っていたのは「青年会議所では研修を受けることが大切な要素でもあります。自分達を高めていく事を私達が自主的に行っていかなければならない。そのためにも今日の研修は会員にとって大切な位置づけがあるのです」と。
元の会社の社長もこの会の出身者ですが、同じような事を仰っていたのを思い出しました。「今、まだ失敗しても許されるであろう時期に多くを体験し、知識を学習し、自分達を高めることができなかったら、卒業するときにまだ迷っていたり、まだ親に頼っていたりという状態であろう。けれどもこの会を自ら活かそうと思えば、どれだけでも勉強できるばを提供してくれる会だと思う。今の人達も同じ思いであってほしい」と何度も何度も仰っていたんです。しっかり受け継がれている思いなのか、それとも平岡理事長だからその思いなのかは分かりません。しかし、平岡理事長の言葉は、私の肩にずっしりと載った気がしました。

その言葉どおり、本当に真剣に取り組まれる会員さんばかりで、最初に自分で学びを得てもらいたいと依存を断ち切るために資料を最初に配布しませんでした。(委員会の方々と相談して決めていました)
そのことで更に必死になってくださる皆さんの様子を拝見することもできました。やっていることに新しいことはないはず。けれども真剣に取り組んでくださる様子は、「この方々が会を卒業される頃にはきっと心の迷いはなくなるのだろうな」と感じさせてくださいました。
40歳を過ぎて迷っても、今までの体験が支えてくれたり、迷いから課題への転換をし、自ら解決していく力になっていることでしょう。40歳にして惑わないために学習や地域とのふれあいを大切にされている団体との関わりをもてることは、私にとっても大きなエネルギーになっています。

この団体に所属されてない方も、今が人生の中で何をする時期なのか
ちょっと考えてみませんか。
そして、その考えたことをどう形にしていきますか。

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