情けない話ですが、私の繰り返すコミュニケーションミス!!それは「エゴ」と言うのかもしれませんが、解って欲しいと思ってしまうことです。
自分が仕事していると、「どうしてそんなに熱心になれるのか」と聞かれることがあります。自分で応えられるのは、「好きだから」というのと、仕事がないことの辛さを知っているから、という二つだけです。圧倒的に前者なのですが、きっと頂いた仕事を真剣にするのは、後者もあって、感謝しながら仕事ができることも影響しているのだろうと思います。
けれども、「家庭そっちのけになってませんか」と心配されることもあります。結構、その部分は自分でもそう思うところです。なので、子供にも親にも、「この時期はこうだからごめんなさいね。」とか「今が大変な時期なので迷惑かけちゃってごめんね」と話すのですが、結局、自分の事を解ってもらう事ばかりに必死になっている自分に気づく事があるのです。
相手はどう思っているのだろうか。
昨日も娘に聴いてみました。「淋しいけど、お母さんが頑張ってるから頑張る」「おばあちゃんが居るから平気」など、目を合わせないで言うので、本気じゃない気がして、目を合わせて言ってもらいました。すると、「おうちでお仕事してるのみてるから、おうちで出来る仕事はないの?」と逆に聞かれました。淋しいんだなあと伝わってきたのです。
そうだよね。そういうお仕事が増えるといいよね。会社員の時はおうちで仕事をすると言っても、たまにだったのに、自分で仕事をするようになってからは、完全に違う生活です。以前を知っているから、その時との比較になってしまうのでしょうね。
ましてや、私は楽しんでいるわけですし、申し訳なさも一杯になりました。
「おうちで仕事をしている時は、静かにしててくれたら、同じお部屋に居てもいいよ。」とまず伝えてみました。
すると、早速昨夜は一緒に居ました。21時からの仕事だったので、途中で安心して眠ってくれるのかなと思ったら、終わっても起きていて、話を良く聴いているのですね。
娘「お母さん、電話なのに大勢とお話しているんだね。」
私「あら、解った?今はね、大勢とお話して、一緒に
コーチングの先生として、どう上手になっていこうか
ってお話合いしたんだよ」
娘「へえ。私ね、大勢名前覚えたよ。」
私「へえ、誰覚えたの?」
娘「◯◯さんと・・・・・」
私「うわっ、9人居たけど、8人覚えたんだあ。すごいね。
お母さんでも、観ないと覚えられないや。」
(しかも娘が覚えていたのは、私が名前を呼んだ順)
娘「お母さんが、楽しそうに話しているから誰かなあって
思っただけだよ」
私「そうなんだ、楽しそうだったんだあ。
わかなちゃんは、聴いててどう思っていたの?」
娘「えっとね~、いっぱい名前があるから、何人居るかな
って思ったし、お母さんスゴイなあって思った。」
私「そっかあ。だから最後まで起きていたのかな?」
娘「うん、楽しくなって、起きちゃってた。」
私「じゃ、これからはお部屋に居ない方がいいのかなあ?」
娘「枕も持ってきているし、大丈夫。つまらなかったり、ねむ
かったら寝るから」
私「そっかあ。でも、わかなちゃんに凄いって思ってもら
えるのは、お母さん嬉しいな。ありがとね。」
娘「ううん。入っても良いって言ってくれてありがとう」
こんな会話を終わってからしました。
娘に解ってもらいたいという思いも私の中にあったのかもしれないのですが、娘の反応を聴いていて、娘の気持ちも解ってあげようとしないと、結局私の思いも伝わらないのだろうなと改めて感じさせられました。
まだまだ「解って欲しい」という思いばかりが先行している場面ってあると思います。
けれども、近くの人達であっても、まずは相手の事をわかろうとするところから始めてみたいなと思いました。近いから解ってくれるというのは、やっぱり私のエゴだったんだろうなあ。
反省の意味を込めて、ここに記しておこうと思います。
あなたは、解ってもらっていると思っているのに、あれ?という事ってありませんか。
あなたは、解ってもらいたい相手の事を、どのくらい解っているとおもいますか。
コメント
スマイルコーチさん、こんにちは! 私もわずかながら同じような悩みを抱えたことがあります。でも、振り返ってみれば、悩んでみても、結局同じ選択肢を選んだだろうな! と思います。その選択肢に意味を持って進んでいけば、伝わるんだ!と思います。若菜ちゃんとの対話が、スマイルコーチさんをより一層、進化させている機動力となっているのでしょう♪
wakuwakuさん、こんにちは!同じような悩みを抱えていらしたんですね。そうなんですよ、結局同じ選択をしているのでしょうね。娘の存在は大きいですね。つくづく「存在」の大切さを感じます。