「強みを活かす」の捉え違えは怖い

「強みを活かす」という事を私も言いますし、よく使われる言葉ですよね。しかし、危険だなあと思うこともあります。実際には、意味を捉え違えてしまうと危険もあるなと感じてしまいます。

情けない話ですが、私は物を捨てるのが苦手です。愛着を持って、ずっと使い続けるものはまだ良いですが、思い出のたっぷり詰まったものを捨てる事ができず、いつまでも取っておきたいから、ものが溢れてしまいます。

しかし、娘は物への執着というものが薄いため、ポイポイ捨てる事ができます。
年末に、娘に私の部屋の掃除を手伝ってもらいました。何を手伝ってもらったかというと、整理の段階での要るものと要らないものの仕訳です。

娘「お母さん、これずっとここにあるから見ないでしょ」(ゴミ箱ポイ)
私「それは、ファイリングするからあるの。ダメダメ」(ゴミ箱から出す)
娘「だって、見ないじゃん。要らない。いつまで経っても減らないよ」「(再度ゴミ箱へ)
私「はあい」(ゴミ箱を眺める)

こんな繰り返しをしながら、仕訳を手伝ってもらいました。おかげであふれたものは無くなり、キレイになりました。

ところが、整理を手伝う人が居ると思うと、無意識に依存が始まり、自分ではまたせっせと空いた空間を埋めるがごとく溜め始めるのです。
そして、また溢れ、また整理を手伝ってもらうことに。

娘の強みを活かして、手伝ってもらおうと思ったのに、いつの間にか自分ではしなくてもいいからと、依存を始めてしまうとこれはこれで違いますよね。お家だから許される部分もありますが、これが職場だったらどうでしょうか。

あの人にはこんな強みがあるから、あの人に任せよう!までは良いですが、その後、周りの人はそれに携わらなくても良いわけではないし、負荷をかけないように、自分が出来る事はしないと「相互の協力体制」にはならず、チームワークとはいえなくなってしまう気がします。

相手に強みがあるから、その部分を「任せきる」とか、その人の「負荷を作る」というのとは違うのに、私で言うと溜め込む事に躊躇しなくなっているのですよね。これって、違いますよね。
私は私で、溢れないように工夫するとか、溜め込まない娘から「これだけはしておいてね」と言う事を確認しておくとか、出来る事はあるはずなのにしないのは、相手に負荷を負わせるだけになってしまいます。

案の定、娘も「お母さん、いつまでもやってあげられるわけじゃないから、自分で何とかしなさい」と嫌々になってきます。
強みを活かすという言葉を、自分に都合のよい捉え方をしてしまうと、それはただの「自分勝手」や「甘え」になってしまう可能性があるかもしれないと感じました。

今、関わる組織にも、私は甘えている部分がある気がします。もう一度、自分が出来る事はやるという「出来る事」の範囲も見なおしてみようと思いました。

あなたも、ついつい「チームだから」と思って、自分の領域を狭めて、周りに負荷をかけてしまっていることってありませんか。
いやいや精一杯やっていますよと思っても、周りの人の様子も一度見ながら、もう一度自分を見つめていませんか。
私も見つめなおしてみます。

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