最低でも目標達成

なるほどねと思いました。目標を頂点に置くと、ついつい100%に達しなかったとしてもOKにしてしまいます。けれども、最低ラインが目標値だったとしたらどうでしょうか。また、捉え方が違うような気になりました。

企業のクライアント様の中でも、営業部門が当然の事ながらあります。
すると、「経営側がこの不景気になぜこんな昨対以上の売上目標をたてるのか解らない。僕らは部下には90%までは頑張ろうと伝えているんです」と仰る部長がいらっしゃいます。

私自身も営業の大変さは体験してします。また、経営者がどうしてそうした昨対以上の売上を望まなければならないのかも解ります。どちらも解るとしたら、本来は、企業存続のためにも、また常に変化向上していくためにも、経営者の経営判断をどうこう言えるものではないことは重々承知しているのです。

にも関わらず、営業部長には「そうですよね。」と言ってしまう私が居ました。けれど、違うんですよね、やっぱり。経営上の目標であれば、その数字は達成するのが「当たり前」でなければならない。
仮に無理な目標に見えたとしたら、それは「今までどおりのやり方」で考えようとするからなのかもしれないし、部下を信用していないだけなのかもしれない。

達成するために、一人ひとりがどうしていくのかを問いかけられる部長がいて、その部長をサポートするのが、私の仕事なのになあと、自分の甘さを感じました。つまり、私自身がコミットしてなかったも同然です。「つもり」だけで、「良い人」になってしまっていて、本当に企業にとって、或いは働く社員の皆さんにとっての「良い人」にはなれてなかったんだなあと反省しました。

この反省に至ったのには、自分の目標が不明確だなと思うことから始まりました。
その目標を設定する時に、思いは沢山あるのに、達成目標が明確じゃないのです。これを明確にすることを自分が避けている事に気づきました。という事は、自分に対してだけではなく、周囲の人達に接する時にも、この自分への甘さが反映してしまってないかと考えたのです。

そのために、自分の計画を立て直し始めました。自分に大きな目標を与える事で、その達成に向けて進んでいく。その実感があれば、他の人に接する時も、同じように意識し続けていけるのではないかと。

今までできていても、職種が変わる事で曖昧にしていたこと。一人だからいいやと曖昧なまま思いだけで進んできたことも、私には大切な事だったのかもしれません。けれども、もう少しいつもと違うタイプの達成感を味わうための目標設定もあると更に良いだろうなと感じました。

そして、最低でも目標達成というつもりで、いかに目標を達成するかという部分も考えてみたら、自分の「今までどおり」になってきてしまった枠の中から、飛び出す機会になるのかもしれないと感じました。
他の人達のために出来る事も「これだけ」って自分で決めてしまった部分。これを脱皮するための大切のプロセスになるのかもしれないと自分自身が、ストレスというより、ワクワクする気分です。

最低でも目標達成!目標がゴールではなく、当然だったら、できない部分を埋めようってするだろうから、きっと新しいアイデアも浮かぶはず。そのことを楽しめる自分になりたいと思います。

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