時間管理の変化を感じます

今朝、コーチングで経営者さんとお話をしていて、改めて自分の時間管理の視点の変化に気づきました。場面場面によって、使い分けてきているんだろうなと感じています。

入社したての部下の時や、結婚したてで毎日家に居る時には、時間管理は、「この有り余った時間をいかに過ごすか」がテーマでした。
別にのんびりしてもいいんだけど、私の根底には「一度きりの人生は楽しく過ごしたい」という思いがあります。特に私の場合「誰かのために何かしている時が幸せ」という価値観もあるので、毎日窓拭きも含めて、お掃除をしたりもしました。けれども、限界はあって時間がまだ余っちゃう。趣味を見つけようと、パソコンをいじってみたり、仕事ではOJTを自らしてみたりしました。

おかげでその後に大きく影響を及ぼしてくれた時間にはなったのだけれど、今だったら、こんな時間があったら、「これから何をしたいのか」「これからどう生きていきたいのか」など、先の事を考えて、その準備をするんだろうなと思います。時が経ってみないと解らなかった事ですね。

次に仕事が増えてきて、部下としてどうこなすかという時期になってくると、優先順位をつけてみたり、効率良くするために考えたりしました。ここでは、自分がいかに「効率よくやる事を発想すること」が得意なのかを気づくことができました。仕組みを作れば、楽にできることが沢山あると思って、仕組みを作る事が楽しくて、自分の仕事の簡略化だけでなく、「他の人のために」という価値観の元、他の人も使えるようにすることを考えて仕事をしていました。

それでも処理しきれないものに関しては、優先順位をつけてやっていました。
部下ができた時には、私でなくても出来る仕事は、部下に手伝ってもらうことで、自分の時間を作っていきました。

そして、部下が成長してくると、私がやりたかったけれど、手を付けられてない仕事に着手して、また仕事を増やしていきました。これにより、業務全体が効率よくなってくると、次には「部下を育成するための時間」という事での、対話の時間を持つようになりました。こうするとあっという間に時間が過ぎてしまうので、大変でしたが、それでも充実していました。

そして今、一人で何もかもするようになると、やりたいこともやるべき事も嫌というほど沢山あります。というよりも、やりたいことが沢山あるので、時間は尽きないほど欲しいんですよね。けれども、限りはあります。
ですから、昨年夏に教わった「劣後順位」(やらないことを決める事)を実行しています。それでもまだまだなのですが、仕分け方に工夫をするようになりました。

これは優先順位の時にもしていたのですが、以下に分けることで始めます。
Must  (人が絡む事・約束したこと・どうしても必要な事)
Want  (やりたい事・これからの準備)
Can   (できればやりたい事・自分にゆとりがあればできたらいいなと思える事)
Stop  (やらない事・やめること・任せる事)

優先順位の時は、部下だったこともあり上記の順番でした。
劣後順位になると、Sを先に決める。次にゆとりがなければ、Cも考える事をやめる。で、WとMを大切にしていました。

Cに関しては、Evernoteに残しておいて、忘れないけど、今は一旦考えない!と決めて見ることにしました。メンターに教えてもらったNozbeも使ってみているのですが、使いこなせておらず、結局はEvernoteに集約されている状態です。

どれもこれも、時間管理が大切だからしているのではなく、心地よい時間の過ごし方をしたいんですよね。有意義だと思える時間の使い方をしたいんですよね。何だか追われている感覚がある時って、自分の時間のはずなのに、自分でコントロールできている感覚もない。
ゆったりするのが心地よい人は、ゆったりするにはどう過ごしたらいいのかでしょうし、楽しくって人は、どうしたら楽しく時間を過ごせるかだろうし、時間管理自体が目的じゃないんですよね。

だからこそ、その時その時で時間管理の方法も変化する事を、改めて感じたので、参考になればいいなと思って記載しました。

あなたはどんな限りある時間の使い方をされていますか。
それはどんな過ごし方をしたいからなのでしょうか。

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