学ぶことは大切なのか

あえて問いてみたいと思います。学ぶ事って大切なのでしょうか。学ぶってどういう事なんでしょうか。

ふと自分に対して感じた事です。「学ぶ」に真剣になってしまっていると、そのことで満足してしまって、実際には知識だけなんですよね。いざやってみるとそんな頭で考えたとおりに行くことは少なくて、それでも続けてみたことに成果が出たりすることもあります。いずれにしても、「何のために学ぶのか」が、根っことして大切な気がします。

どんな事でもそうかもしれないのですが、新しい知識を得るというのは刺激を得る感覚があって、日常の中ですごく成長した気持ちにもなれるし、日々変化を与えてくれるものになるので、私自身、学ぶ事が大好きです。
しかし、いざ使ってみるとなかなか使えなかったり、奥が深かったりで、原点に何度も戻ってみたり、自分なりのアレンジをしてみたりしています。おかげで、以前の会社でもその実践が役に立って、会社全体の成果へと繋がったことも少なくありませんでした。

その時にも「◎◎がもっとできるようになったらなあ」「もっとこの部分が理解できたら違うんだろうな」と考えながら学んだ時と、受身の時では学び度合いが違うだけでなく、その後の「この場面で使おう」という実践をイメージする量も質も全く違います。
学ぶは「まね・ぶ」が語源だと言うように、実践が必要。実践でどう活かしたいのかの目的も大切なんだと思います。

ところが、それさえ頭で解っているのに、ちょっと最近興味をひかれるものがあって、「学ぶ事」への好奇心ばかりが先にたってしまっていることがあることに気づきました。この興味は「他に◎◎するための方法ってないのかなあ?」と出会ったものなので、きっと私にとっては大切な学びになることと確信はできるのですが、まだ「好奇心が先」のような気がします。知識習得だけで終わってしまいそうな雰囲気があるのです。つまり「どんな場面で使いたいか」が全くイメージできてないのです。
今の私が学ぶと、この部分も大切、あの部分も大切、というように知識の習得に躍起になってしまいそうだなと気づいたのです。そうなると「学び」のフリして、「まね・ぶ」にはならないんですよね。

きっと知らないよりは知っていた方が良くても、何だか「知って満足する」事になりそうで、この学びは私には「大切」と言い切れるものにならない気になりました。
「今大切なものを大切にするために、この学びが必要なのか」というと、違うんだなと判断できました。

学びに不必要なものはない!
そう思ってきたけれど、情報が溢れ、新しいものがどんどん生み出されている現代では、どの知識を通して、何をしたいのかが明確にならない勉強は、情報を収集して、その情報をどう活かすか判らない状態と同じであるように私は考えてしまいます。
偏った考え方だとは思いますが、情報が溢れている今だからこそ、「学ぶ」という事について再度考えてみました。

きっと私には必要になるときが来るその知識。必要と思う場面で、質高く学べる日を今は待つことにしたいと思います。

自分の部下や今関わる方々にも「これを学んでどうなってもらいたいのか。」「(その部下は)自身でどうなりたいのか」を明確にした上で、「このためにこの学びはどんな意味があるのか」という事も話していくことが大切だと感じましたし、自分自身にも問いかけていきたいと思います。

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